2026年9月26日、愛知・名古屋アジア大会の男子マラソンで金メダルを取った山下一貴選手。ゴールの後に見せた笑顔は、駒澤大学のころから「イチタカスマイル」と呼ばれてきたものです。
優勝をきっかけに、山下選手が結婚しているのか、奥さんや子供はいるのかを気にする人が増えています。長崎で育った選手なので、出身の中学や高校を知りたいという声も多く見かけます。
本人のXとインスタグラム、所属する三菱重工マラソン部と日本陸連の選手紹介、それに当時の取材記事にあたって、分かっていることを順番に並べました。
山下一貴選手は2023年1月9日にXで結婚を報告しています。お相手は一般の方で、名前は公表されておらず、子供の発表も出ていません。
- 山下一貴の結婚相手について分かっていることと、子供の有無
- 出身中学の滑石中学校と、出身高校の瓊浦高校での歩み
- 箱根駅伝から世界陸上、アジア大会金メダルまでの成績

金メダルの山下選手、結婚しているって本当ですか。
山下一貴の結婚相手は誰なのか

山下一貴選手の結婚相手は、一般の方です。名前や年齢、仕事といった相手のことは、本人も所属先も出していません。
分かっているのは、結婚したという事実と、報告した日付です。相手がどんな人なのかという部分は、今も伏せられたままになっています。
結婚は2023年1月9日にXで報告
結婚の報告は2023年1月9日、本人のXへの投稿でした。文面は山下結婚しました、の一言だけです。
当時の山下選手は25歳で、三菱重工マラソン部に入って3年目のシーズンでした。投稿には駒澤大学で一緒に走った伊東颯汰選手などから、お祝いの返信が付いています。
報告からわずか2か月後の東京マラソンで、山下選手は2時間5分51秒を出しました。結婚してすぐの大きな結果だったことになります。
相手は一般の方で名前は出ていない
奥さんは一般の方と考えられます。芸能人や陸上選手との結婚であれば、双方から発表が出るはずですが、そうした発表はありませんでした。
奥さんの下の名前として、特定の名前が挙げられることもあります。ただ、その名前は本人の投稿にも、所属先の選手紹介にも出てきません。
名前を出していないのは、一般の方のくらしを守るためだと考えられます。この記事でも、裏づけの取れない名前や年齢は書かないことにしました。
結婚まわりの疑問を答えが出ているかで仕分けた
結婚まわりで気にされている疑問のうち、答えが出ているのは2つだけでした。残りは、どれも本人が語っていない部分です。
| 知りたいこと | 答え | 出どころ |
|---|---|---|
| 結婚しているか | している | 本人のX(2023年1月9日) |
| いつ報告したか | 2023年1月9日 | 本人のX |
| 相手の名前 | 出ていない | なし |
| 相手の年齢や仕事 | 出ていない | なし |
| 馴れ初め | 出ていない | なし |
| 子供 | 発表なし | なし |
表のとおり、相手についての情報は結婚の事実から先に進んでいません。噂として出回る名前や年齢は、どれも出どころが示されていない状態です。
妻の話がこの先も表に出にくい理由
私は、奥さんについての話はこれからも詳しくは出てこないと思っています。理由は3つあります。
1つ目は、結婚の報告そのものが一言で終わっていることです。2つ目は、2026年2月の大阪マラソンのあとのインスタグラムでも、写真について妻の知り合いの方にふれる一文があるだけで、奥さん本人を前に出していないことです。
3つ目は、所属先の選手紹介にも家族の話が一切ないことです。本人が引いている線はずっと同じなので、その線をそのまま受け取るのが自然だと思います。

報告は一言でも、ちゃんと妻という言葉は投稿に出てくるんですね。
山下一貴に子供はいるのか

山下一貴選手に子供がいるという発表は出ていません。本人のXやインスタグラムにも、所属先の紹介にも、子供にふれた言葉は見当たりません。
いないと言い切れるわけではありませんが、少なくとも本人が伝えたことはない状態です。家族のことを外に出さない人なので、発表のないまま過ごしている可能性もあります。
子供の発表は出ていない
子供については、生まれたという報告も、妊娠の報告もありません。結婚の報告のときと同じように、Xで伝えることもしていません。
2023年の結婚から、山下選手は毎年マラソンを走り続けてきました。家族の話をしない一方で、レースの結果と練習の様子だけはていねいに発信しています。
子供が気になって検索される理由
子供のことが検索されるのは、結婚から3年以上たっているからだと考えられます。山下選手は29歳で、同世代の選手には父親になった人も出てきています。
そこへアジア大会の金メダルが重なり、家族のだれがゴールを見守っていたのかを知りたい人が増えました。優勝インタビューで家族に感謝する選手も多いので、その言葉を探して検索されている面もありそうです。
山下一貴の出身中学は長崎市立滑石中学校
山下一貴選手の出身中学は、長崎市立滑石中学校です。長崎市の北部にある公立の中学校で、山下選手はここで陸上を始めました。
生まれは1997年7月29日で、出身も長崎市です。中学から高校までを長崎で過ごし、大学で東京へ出て、社会人になってまた長崎へ戻っています。
滑石中学校は3つの紹介で一致している
滑石中学校という学校名は、3つの紹介で一致しています。出身校の書き方は紹介ごとに少しずつ違うので、並べて確かめました。
| 紹介しているところ | 中学 | 高校 | 大学 |
|---|---|---|---|
| MGC出場選手紹介(2023年) | 滑石中学校 | 瓊浦高校 | 駒澤大学 |
| ウィキペディア | 長崎市立滑石中学校 | 瓊浦高等学校 | 駒澤大学 |
| 日本陸連の選手紹介 | 記載なし | 瓊浦高(長崎) | 駒澤大学 |
| 三菱重工マラソン部の選手紹介 | 記載なし | 瓊浦高校 | 駒澤大学 |
中学の名前を出しているのは2つですが、どちらも同じ滑石中学校でした。高校と大学は4つとも一致しています。
陸上は友人に誘われて中学から始めた
山下選手が陸上を始めたのは、中学で友人に誘われたことがきっかけです。最初から走るのが好きで入部したわけではありませんでした。
西日本新聞のスポーツサイトの取材では、当時は中学で辞めるくらいの気持ちだったと振り返っています。のちに世界陸上を走る選手の出発点としては、意外なほど軽い始まりでした。

中学でやめるつもりだったのに、どうして続けたんでしょうか。
山下一貴の出身高校は長崎の瓊浦高校
山下一貴選手の出身高校は、長崎市の瓊浦高校です。読み方は、けいほこうこうです。
瓊浦高校は長崎県内でも陸上の強い学校として知られています。山下選手は中学で辞めるつもりだった陸上を、ここで続けることになりました。
機械科で卒業後は就職するつもりだった
高校時代の山下選手は、卒業したら就職するつもりでいました。勉強は嫌いだからと、機械科に入っていたそうです。
当時は、オリンピックや世界選手権を意識することもなく、箱根駅伝にも興味がなかったと話しています。走るのは高校までで終わる予定でした。
担任の一言で大学進学へ切り替えた
進路が変わったのは、高校2年のときの担任との面談でした。一般企業に就職したいと伝えると、もっと上を目指せと返されたそうです。
そこで陸上を続けると決めたものの、当時の力では実業団には入れませんでした。声をかけてくれた駒澤大学へ進むことになります。
3年の冬には全国高校駅伝を走った
高校3年の冬、山下選手は全国高校駅伝で3区を走っています。2015年12月の京都の大会で、瓊浦高校の一員として都大路に立ちました。
瓊浦高校はこの大会で16位でした。長崎の代表として走った都大路が、山下選手にとって全国の大きな舞台の始まりになりました。

担任の先生のひと言がなかったら、金メダルもなかったかもしれませんね。
山下一貴の駒澤時代と箱根駅伝
山下一貴選手は駒澤大学で、箱根駅伝のエース区間の2区を3年連続で走りました。1年生のときは駅伝のメンバーに入れず、2年生から一気に力を伸ばしています。
大学での4年間は、スピードではなく距離に強い選手として育てられた時期でした。この土台が、社会人でのマラソンにつながっていきます。
入学直後に三菱に行きますと宣言していた
山下選手は駒澤大学に入ってすぐ、三菱重工へ進むと宣言していました。大八木弘明監督の家での食事会で、三菱に行きますと口にしたそうです。
自分にはスピードがないので、マラソンしかないと感じていたと話しています。地元の長崎にマラソン部があることも、大きな理由でした。
大八木監督からは、ことあるごとにゆくゆくはマラソンで日本代表になれと言われ続けたそうです。その言葉は、アジア大会の金メダルで形になりました。
のちに山下選手は、もし高校卒業で三菱に入れてもらっていたら4年目まで続けられたか分からないと振り返っています。大学で基礎をつくったから今があるという実感を持っているそうです。
箱根駅伝は3年連続でエースの2区
箱根駅伝では、2年から4年まで3回とも2区を任されました。区間順位は13位、9位、13位です。
| 学年と大会 | 区間 | 区間順位 | タイム |
|---|---|---|---|
| 2年(第94回・2018年) | 2区 | 13位 | 1時間09分58秒 |
| 3年(第95回・2019年) | 2区 | 9位 | 1時間08分09秒 |
| 4年(第96回・2020年) | 2区 | 13位 | 1時間08分18秒 |
本人は、2区を3回走ってもいいタイムではなかったので自信になっているかは微妙だと、のちの取材で苦笑しています。全日本大学駅伝ではアンカーの8区を3年連続で走り、4年の出雲駅伝では1区で区間2位に入りました。
襷が話題になった2019年の鶴見中継所
山下選手の襷が話題になったのは、2019年の第95回箱根駅伝です。1区から2区へつなぐ鶴見中継所で、受け取るはずの山下選手が見当たらないというハプニングが起きました。
スポーツ報知の記事によると、1区の片西景選手は7位で中継所に入りましたが、渡す相手がいませんでした。約10秒後に山下選手が現れて襷がつながったものの、その間に2校に抜かれています。
レース後の山下選手は、1区の到着まではまだ時間があると思っていたと説明し、片西さんの顔が怖かった、帰ったら謝りますと話しました。走りのほうは区間9位で、7位のまま3区へつないでいます。
山下一貴の東京マラソンと大阪マラソン
山下一貴選手の名前を一気に広めたのは、2023年の東京マラソンです。2時間5分51秒で日本人トップの7位に入り、当時の日本歴代3位の記録になりました。
その後の東京マラソンは2年続けて苦しみましたが、2026年2月の大阪マラソンで立て直しています。この大阪での走りが、アジア大会の代表入りにつながりました。
2023年の東京で2時間5分51秒を出した
2023年3月5日の東京マラソンで、山下選手は自己ベストの2時間5分51秒を出しました。32キロ付近から集団を引っ張り、日本人トップ争いを制しています。
このレースで、前の日本記録保持者だった大迫傑選手に競り勝ちました。記録は世界陸上の代表を決める基準を越えていて、初めての日本代表につながっています。
2024年と2025年の東京は苦しいレースが続いた
2024年と2025年の東京マラソンは、どちらも2時間12分より遅い記録に終わりました。2024年は2時間17分26秒、2025年は2時間12分34秒です。
2023年秋のMGCでも2時間14分11秒と伸びず、パリ五輪の代表には届きませんでした。2年あまりのあいだ、自己ベストから6分以上遅い記録が続いたことになります。
2026年の大阪マラソンで復調した
復調を示したのは、2026年2月の大阪マラソンでした。2時間6分18秒で全体6位、日本人2番手でゴールしています。
終盤に前を走る選手を次々に抜き、日本人トップとの差は4秒でした。この走りで、2027年のMGCの出場権も手にしています。
マラソン全成績と順位が割れている2大会
マラソン全成績を並べると、順位の書き方が紹介ごとに割れている大会が2つありました。日本陸連の選手紹介と、ウィキペディアを突き合わせた結果です。
| 大会 | 記録 | 日本陸連の順位 | ウィキペディアの順位 |
|---|---|---|---|
| 2021年 びわ湖毎日 | 2時間08分10秒 | 18位 | 18位 |
| 2022年 大阪・びわ湖統合 | 2時間07分42秒 | 2位 | 2位 |
| 2023年 東京 | 2時間05分51秒 | 7位 | 7位 |
| 2023年 世界陸上 | 2時間11分19秒 | 11位 | 11位 |
| 2023年 MGC | 2時間14分11秒 | 31位 | 32位 |
| 2024年 東京 | 2時間17分26秒 | 46位 | 46位 |
| 2025年 東京 | 2時間12分34秒 | 38位 | 40位 |
| 2026年 大阪 | 2時間06分18秒 | 6位 | 6位 |
| 2026年 アジア大会 | 2時間10分49秒 | 優勝(26日の結果) | 優勝 |
割れているのは2023年のMGCと2025年の東京で、どちらも記録は同じです。この記事では、日本陸連の選手紹介の順位を正として扱います。
山下一貴の世界陸上は2023年ブダペストで11位
山下一貴選手の世界陸上は、2023年のブダペスト大会で11位でした。初めて日の丸を付けて走ったレースで、日本人トップでゴールしています。
記録は2時間11分19秒です。入賞にはあと一歩届きませんでしたが、最後まで走り切った姿に多くの声援が集まりました。
40キロまで5位を走っていた
レースの終盤、山下選手は40キロ地点を5位で通過していました。30キロ過ぎには一時、先頭に立つ場面もありました。
ところがその後、両脚がけいれんするアクシデントに見舞われ、ペースが大きく落ちました。入賞の8位以内を目前にしての失速でした。
12位から11位に変わった理由
ゴールした直後の順位は12位で、今は11位として記録されています。9位だった選手がドーピング違反で失格になり、順位が1つ繰り上がったためです。
そのため、大会直後の記事には12位、今の日本陸連の紹介には11位と書かれています。どちらも誤りではなく、時期の違いによるずれです。

世界陸上の悔しさを、アジア大会で晴らしたんですね。
山下一貴のアジア大会は金メダル
山下一貴選手はアジア大会の男子マラソンで、2時間10分49秒の金メダルを取りました。日本勢の優勝は、2018年ジャカルタ大会の井上大仁選手以来、8年ぶりです。
井上選手は同じ三菱重工マラソン部の先輩にあたります。この種目で金メダルを取った三菱重工の選手は、山下選手で2人目になりました。
2時間10分49秒で名古屋を制した
レースは2026年9月26日の朝、名古屋市瑞穂公園陸上競技場を発着点に行われました。スタート時の気温は22度で、19人が走り出しています。
| 順位 | 選手 | 記録 |
|---|---|---|
| 金 | 山下一貴(日本) | 2時間10分49秒 |
| 銀 | S.バルワル(インド) | 2時間11分37秒 |
| 銅 | 豊配友(中国) | 2時間12分13秒 |
| 11位 | 吉田祐也(日本) | 2時間18分33秒 |
2位との差は48秒でした。TBS NEWS DIGの報道をもとに、上位3人と日本勢の記録を並べています。
35キロ手前で先頭に立ち抜け出した
勝負を決めたのは、35キロ手前での追い上げでした。33キロ手前でほかの2人の選手がペースを上げ、山下選手はいったん3番手に下がっています。
そこから2人に追いついて先頭に立ち、沿道の声援を背に抜け出しました。39キロ付近では苦しそうな表情も見せましたが、そのまま独走でゴールしています。
9キロ付近では集団の先頭に立つ場面もあり、前半から積極的に動いていました。世界陸上で終盤に脚をつった経験を、今回は最後まで持ちこたえた形です。
ゴール後の第一声はホッとしてます
ゴールした山下選手の第一声はホッとしてますでした。先輩たちがメダルを取ってきたので周りの期待も大きく、金メダルを取れて心底ホッとしていると話しています。
優勝を目指していたぶんプレッシャーがきつく、解放されてめちゃくちゃうれしいとも口にしました。沿道からの日本の声援がとても力になったと、感謝の言葉も添えています。
三菱重工の黒木純監督は2023年の取材で、山下選手をのんびりした感じで大舞台でも動じない選手だと話していました。地元に近い名古屋の大観衆の前でも、その強さはそのまま出ていたように見えます。
今季の目標どおりの優勝だった
今回の優勝は、本人が今季の目標に掲げていたものでした。三菱重工マラソン部の選手紹介には、今シーズンの目標としてアジア大会優勝と書かれています(2026年9月26日に確認)。
山下選手は2022年にもアジア大会の代表に選ばれていましたが、大会の延期で内定が解除されました。一度は手から離れた舞台で、目標をそのまま結果にしたことになります。
選手紹介の肩書きは主将で、好きな言葉は笑顔です。ゴール後にスタンドへ一礼した笑顔は、その言葉どおりのものでした。
山下一貴の結婚についてよくある質問
山下一貴選手の結婚について、よく聞かれる質問をまとめました。答えは、本人の発信と所属先の紹介をもとにしています。
妻はどんな人ですか
山下選手の妻は一般の方で、名前や年齢、仕事は公表されていません。本人も所属先も、奥さんについて語ったことはありません。
インスタグラムの投稿に妻という言葉が出てくることはありますが、奥さん本人の写真や紹介は出ていません。
結婚したのはいつですか
結婚の報告は2023年1月9日です。本人がXに一言で投稿しました。
入籍した日そのものは明らかにされていません。報告した日と入籍した日が同じかどうかも分かっていません。
子供はいますか
子供がいるという発表は出ていません。妊娠や出産についての報告も、本人の発信にはありません。
家族のことをほとんど話さない選手なので、発表のない状態が続いています。
出身中学と出身高校はどこですか
出身中学は長崎市立滑石中学校、出身高校は瓊浦高校です。大学は駒澤大学に進みました。
陸上は中学で友人に誘われて始め、高校は就職を考えて機械科に入っていました。
箱根駅伝では何区を走りましたか
箱根駅伝では3年連続で2区を走りました。区間順位は13位、9位、13位です。
3年生のときには、鶴見中継所で襷を受け取るのが遅れるハプニングもありました。
所属チームはどこですか
所属は三菱重工マラソン部です。長崎を拠点にするチームで、山下選手は主将を務めています。
入社したときのチーム名は三菱日立パワーシステムズのマラソン部で、その後に今の名前になりました。
まとめ:山下一貴の結婚相手と子供、出身中学や高校
山下一貴選手の結婚と家族、出身校について分かっていることをまとめました。
- 結婚の報告は2023年1月9日のX
- 結婚相手は一般の方で名前は非公表
- 子供の発表は出ていない
- 出身中学は長崎市立滑石中学校
- 出身高校は長崎の瓊浦高校
- アジア大会で金メダルを獲得
家族のことはほとんど話さない一方で、走りでは結果を出し続けてきた選手です。次の大舞台は2027年のMGCになるので、そちらも見守っていきたいですね。

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