バレーボール男子日本代表に初めて選ばれたセッター、河東祐大(かわひがし ゆうだい)選手。名前を見かける機会が一気に増えたぶん、「結婚しているの?」「奥さんはどんな人なんだろう?」と気になった方も多いのではないでしょうか。
河東祐大選手は結婚しています。本人がInstagramで「兼ねてよりお付き合いしていた方と昨年結婚いたしました」と報告しており、2025年12月には第一子の誕生も伝えています。妻は一般の方で、名前も年齢も本人は明らかにしていません。
結婚と妻について分かっていることは、本人の報告の文面から確かめられます。あわせて名前の読み方や年齢、出身中学と高校、怪我、日本代表でアジア選手権に優勝するまでの道のりも見ていきます。
- 結婚は本人が報告済みで、妻は一般の方であること
- 第一子が2025年12月25日に生まれたことと、家族との過ごし方
- 出身中学の吉野中学校と、高校の鹿児島商業高校

結婚しているという話と、公表されていないという話の両方を見かけて混乱しています。

結婚の報告はご本人が出しています。何が分かっていて何が分からないのか、線を引いてお伝えしますね。
河東祐大の結婚は本人が報告済み|妻は一般の方で名前は非公表

河東祐大選手は結婚しています。ご本人がInstagramのアカウント(@kawahigashi.6)で、応援している人へ向けた形で結婚の報告を出しているからです。
そのうえで、妻がどんな人なのかについては、名前も年齢も職業も顔写真も、ご本人からは何も出ていません。子どもについては、2025年12月に第一子が生まれたことを報告しています。
ここからは、報告の文面そのもの、妻について分かる範囲、噂の出どころ、そして第一子の話を、順番に見ていきます。
報告の文面は「昨年結婚いたしました」だった
ご本人が出した報告の文面は、「いつも応援してくださる皆様へ 私事でありますが、兼ねてよりお付き合いしていた方と昨年結婚いたしましたことをこの場を借りて報告させていただきます」というものでした。そのあとに「より一層気を引き締め精進して参ります」と続きます。
ここで目を留めたいのが、「昨年結婚いたしました」という書き方です。つまり、この投稿をした年に入籍したのではなく、その前の年に入籍していて、1年ほど経ってから報告した、ということになります。
報道では「2023年に結婚を発表していた」という書かれ方をしています。この2つを重ねると、発表は2023年、入籍そのものはその前年の2022年ごろと読むのが自然です。
私はこう思っています。「2023年に結婚」とだけ覚えると、実際の入籍の年から1年ずれてしまう可能性が高いです。ご本人の文面が「昨年」と書いている以上、結婚した年と発表した年は分けて考えたほうが、あとで混乱しません。
ちなみに2022年は、河東選手にとって環境が大きく動いた年でもありました。1月にVC長野トライデンツの退団が発表され、7月にジェイテクトSTINGSへの入団が発表されています。noteを始めたのも同じ年の8月で、そこには「環境が変わり、新しいことに挑戦したい時期だった」と書かれています。
妻について分かっているのはどこまでか
妻について、確かなことは1つだけです。バレーボール関係者ではない、いわゆる一般の方だということ。名前・年齢・職業・出身地・顔写真は、いずれもご本人から出ていません。
これは情報が漏れているのを隠しているというより、最初からその線で報告していると受け取るのが自然です。報告の文面も「兼ねてよりお付き合いしていた方」という書き方で、相手が誰かを特定できる言葉はひとつも入っていません。
結婚式の写真や、2人で写った投稿も見当たりません。第一子の誕生を伝えた投稿でも、書かれているのは我が子への気持ちと今後への決意だけで、妻に触れた部分はありません。
私だったら、ここから先を追いかけるのはやめておきます。手がかりがゼロの状態で名前や顔を探しにいくと、たどり着くのは誰かの推測だけになるからです。
「20代の美人妻」という噂が出てきた理由
検索していると「妻は年下の美人」「20代らしい」といった書かれ方を見かけます。ただ、この年齢や容姿の話に、ご本人やチームが出した裏づけはありません。
ではなぜこの噂が出てくるのか。理由は3つあると考えられます。
1つ目は、河東選手自身が結婚したときに20代半ばだったことです。2022年ごろの入籍だとすると当時24歳前後で、そこから「相手も同世代か少し下だろう」という想像が生まれやすくなります。
2つ目は、情報が出ていないこと自体が想像の余白になっていることです。名前も年齢も出ていないぶん、読む側が思い描いた像がそのまま言葉になって広がっていきます。
3つ目は、報告の文面にある「兼ねてよりお付き合いしていた方」という表現です。長く交際していたと読めるので、そこから「学生時代からの相手では」「同世代では」と話が伸びていったと考えられます。
つまり噂の出発点は、ご本人の発信ではなく読む側の推測です。年下かどうかも、美人かどうかも、確かめようがないというのが正直なところになります。
第一子は2025年12月25日に誕生
第一子が生まれたのは2025年12月25日で、ご本人がその日のうちにSNSで報告しました。クリスマスに家族が増えた形です。
報告の文面はこうでした。「先日、第一子が無事に誕生しました。毎日が初めての連続ですが、どんな疲れも吹き飛ぶほど可愛くて、愛おしい存在です」。そのあとに「自分自身も人として、父として、そしてバレーボール選手として、我が子の成長に負けないようこれからも精進していきます」と続きます。
子どもの性別や名前は書かれていません。「第一子」という言葉だけが使われていて、男の子か女の子かも分からない状態です。
当時の河東選手は27歳。所属するジェイテクトSTINGS愛知でセッターを務めながらのシーズン中で、その時点で14試合すべてにベンチ入りし、55セットに出場していました。
リフレッシュ方法は家族との時間と本人が答えている
河東祐大選手は、リフレッシュ方法を「家族との時間」と答えています。所属するジェイテクトSTINGS愛知の選手紹介ページに、本人の答えとして載っている項目です。
| 出ている場所 | 家族にかかわる内容 |
|---|---|
| ジェイテクトSTINGS愛知の選手紹介 | リフレッシュ方法は「家族との時間」、尊敬する人は「母」 |
| トヨタイムズスポーツの動画(2026年9月16日公開) | 家族と訪れた愛知県岡崎市の山あいの喫茶店で、試合から離れて過ごす様子 |
| 本人のInstagram | 結婚の報告と、2025年12月の第一子誕生の報告 |
妻の名前や顔は出さないまま、家族と過ごす時間そのものは隠していません。勝ち負けで気持ちが揺れる仕事だからこそ、家に帰って切り替える時間を大事にしているのだと受け取れます。
河東祐大の読み方や年齢・出身などプロフィール

名前は「かわひがし ゆうだい」と読み、年齢は28歳、出身は鹿児島県鹿児島市です。ポジションはセッターで、ジェイテクトSTINGS愛知では背番号6を付け、2026-27シーズンは副主将を務めます。
読み方・年齢・出身地には、載っている場所によって値が違うものがあります。その違いもあわせて調べました。
読み方は「かわひがし ゆうだい」
読み方は「かわひがし ゆうだい」です。「かとう」でも「かわとう」でもありません。
「河東」という名字はそれほど多くないうえ、「かとう」と読ませる例もあるため、初めて見たときに迷いやすい名字です。バレーボールの中継や選手名鑑では、ふりがなが「かわひがし・ゆうだい」で統一されています。
下の名前の「祐大」も、「ゆうた」ではなく「ゆうだい」です。名前だけを見て検索して出てこないときは、この読み方のずれが原因になっていることがあります。
年齢は28歳で1998年2月7日生まれ
生年月日は1998年2月7日で、年齢は28歳です。誕生日が2月なので、シーズンの途中で1つ年齢が上がります。
日本代表に初めて選ばれたのが28歳のときで、これは代表デビューとしては早いほうではありません。同じ大会に選ばれたセッターには36歳の深津英臣選手もいて、この2人が代表チームのセッター陣を組んでいます。
第一子が生まれた2025年12月の時点ではまだ27歳で、年が明けて2026年2月の誕生日で28歳になった、という並びです。
出身は鹿児島県鹿児島市
出身は鹿児島県鹿児島市です。所属チームの選手紹介では出身地が「鹿児島県」までの表記ですが、通っていた小学校と中学校が鹿児島市内にあるため、育ったのは市内ということになります。
バレーボールを始めたのは6歳、小学1年生のときで、きっかけは姉の影響でした。所属チームの選手紹介にも「バレーを始めた年齢:6歳/きっかけ:姉の影響」とはっきり書かれています。
高校まで鹿児島で過ごし、大学進学で東京へ出て、社会人では長野・愛知とチームを移ってきました。鹿児島を出たのは18歳のときになります。
プロフィール早見表|2か所で値が違う項目もある
河東祐大選手のプロフィールは、所属チームの選手紹介と日本代表としての登録とで、最高到達点や背番号など複数の項目の数字が違います。
基本データを、2026年9月4日時点で確認できる内容としてまとめます。ここで面白いのが、所属チームが出している選手紹介と、日本代表として登録されているプロフィールとで、いくつかの数字が違うことです。どちらかが間違いというより、測った時期と登録の目的が違うためだと考えられます。
| 項目 | ジェイテクトSTINGS愛知の選手紹介 | 男子日本代表としての登録 |
|---|---|---|
| 背番号 | 6(副主将) | 9 |
| 身長・体重 | 175cm・73kg | 175cm |
| 最高到達点 | 315cm | 320cm |
| ブロックジャンプ到達点 | 記載なし | 300cm |
| 指高 | 220cm | 記載なし |
| 学歴の表記 | 鹿児島商業高校/日本体育大学 | 吉野東小→吉野中→鹿児島商高→日本体大→VC長野 |
| 私的な項目 | 血液型O型・趣味はグルメ・好きな食べ物は唐揚げ・好きな色は黒 | 記載なし |
背番号が2つあるのは、クラブと代表で別々に割り振られているためです。最高到達点の5cm差は、測定した時期の違いとみるのが自然でしょう。
そして表の中でいちばん効いてくるのが学歴の表記です。所属チーム側には高校と大学しか書かれていないのに、代表側には小学校と中学校まで並んでいます。出身中学が「分からない」と書かれることがあるのは、ここが理由です。
出典はジェイテクトSTINGS愛知の選手紹介ページと、月刊バレーボールの男子日本代表プロフィールです。
河東祐大の出身中学は吉野中学校|小学校は吉野東小学校
出身中学は鹿児島市立吉野中学校、出身小学校は吉野東小学校です。どちらも鹿児島市の吉野地区にあり、小学校から中学校まで同じエリアで過ごしています。
この学校名は、月刊バレーボールが出している男子日本代表のプロフィールに「吉野東小→吉野中→鹿児島商高→日本体大→VC長野」という形で並んでいます。学歴をひとつなぎで載せているのは、いまのところこの代表プロフィールだけです。
中学名がチーム公式の選手紹介に無い理由
所属チームの選手紹介では、出身校の欄が「鹿児島商業高校 / 日本体育大学」となっていて、中学校は書かれていません。チーム歴の欄も高校からのスタートです。
これは隠しているのではなく、Vリーグやチームの選手紹介では高校からを載せるのが一般的だからです。ほかの選手のページも同じ形で、中学校まで載せているケースはほとんどありません。
一方、代表のプロフィールは選手の育ってきた道すじを見せる作りになっていて、小学校から並べる書式になっています。同じ「公式」でも載せる情報の粒度が違う、というだけの話です。
私はこう思っています。中学名を探すなら、チームのページではなく代表の選手名鑑を見にいくのが早いです。上の表のとおり、載っている項目そのものが違うので、片方だけを見て「無い」と判断すると取りこぼします。
バレーを始めたのは6歳・姉の影響だった
河東祐大選手がバレーボールを始めたのは小学1年生の6歳で、きっかけはお姉さんがバレーボールをしていたことでした。
始めたころのポジションはセッターではありません。もともとはボールを打つ側、スパイカーとしてプレーしていて、コートの中で役割が変わるのは高校に入ってからのことです。
身長175cmという数字は、男子バレーボールの世界では小柄な部類に入ります。それでも第一線でやれているのは、早い時期から始めて土台をつくってきたことと、途中でセッターへ舵を切った判断が大きいと考えられます。
河東祐大の高校は鹿児島商業高校|大学は日本体育大学
河東祐大選手の出身高校は鹿児島商業高等学校、大学は日本体育大学です。鹿児島商業高校には2013年から2016年まで、日本体育大学には2016年から2020年まで在籍しました。
この6年間が、いまのプレースタイルの土台になっています。ポジションが変わったのも、全国の舞台を経験したのも、日本代表という言葉が初めて出てきたのも、この時期です。
1年生でスパイカーからセッターへ転向
鹿児島商業高校に入学した当初は、スパイカーとしてプレーしていました。転向したのは1年生のときで、ここからセッターとしての歩みが始まります。
そして転向したその年に、いきなり大きな結果が出ます。1年時に出場した春の高校バレーで、チームは準優勝。転向1年目の選手が全国の決勝の舞台に立った形です。
左利きであることも、このポジションで効いてきます。左利きのセッターは右側から直接ボールを落とす動きが自然にできるため、相手が読みにくくなるからです。所属チームの選手紹介では特技の欄に「両利き」とも書かれています。
高校3年間で積み上げた全国大会の成績
高校3年間の成績を並べると、準優勝が4回という並びになります。1年時に春の高校バレーで準優勝、2年時にインターハイと国民体育大会で準優勝、3年時にも国民体育大会で準優勝です。
3年間ずっと全国の上位にいた、ということになります。強豪校の主力としてトスを上げ続けた経験が、いまのプレーの落ち着きにつながっているのでしょう。
さらにこの時期、高校選抜として日本代表に選ばれた経験もあります。「日本代表初選出」と報じられているのはあくまでA代表としての話で、年代別ではすでに代表を経験していた選手でした。
日本体育大学では1年目から東日本インカレ優勝
大学は日本体育大学へ進学しました。1年目から東日本インカレで優勝を経験し、全日本インカレではベスト4に入っています。
大学バレーは高校までと違い、体格でもパワーでも一段上の相手と組み合う場所です。そこで1年目から出場機会を得ていたことは、セッターとしての判断の速さが早い段階で評価されていたことを示しています。
卒業を控えた2019年にVC長野トライデンツへの内定が決まり、2020年に入団してプロとしてのキャリアが始まりました。
河東祐大の怪我は鼻骨骨折と右足関節捻挫の2つ
これまでに公表されている大きな怪我は2つです。2021年11月の鼻骨骨折と、2026年4月の右足関節捻挫になります。
どちらもキャリアの節目に重なっているため、経緯とあわせて見ていきます。とくに1つ目は、試合中の接触ではなくコートの外で起きたものでした。
2021年の鼻骨骨折はコートの外で起きた
1つ目は2021年11月14日の鼻骨骨折です。起きたのは試合中ではなく、ホームゲームが終わったあとの撤収作業中でした。
骨折後、11月26日に手術を受けています。VC長野トライデンツでの2年目、最優秀新人賞を受賞した翌シーズンの出来事でした。
そして年が明けた2022年1月12日に、VC長野の退団が発表されます。怪我と退団が近い時期に重なったため、この2つを結びつけて語られることがありますが、退団の理由をチームや本人が説明したものはありません。
2026年4月の右足関節捻挫
2026年4月の右足関節捻挫は、試合中に負傷したものです。負傷したのは2026年4月4日、秋田で行われたSVリーグ男子第20節、東京グレートベアーズ戦の試合中でした。
チームが負傷を発表したのは3日後の4月7日で、診断は右足関節捻挫。「一日も早く復帰できるよう努めていきます」というコメントが添えられていました。全治の見込みは公表されていません。
この時点で河東選手は、そのシーズンのSVリーグ男子39試合にベンチ入りしていて、チームのセッターとして出続けていた最中の離脱でした。
怪我のあとにどう戻ってきたか
2つの怪我のあとの戻り方は、対照的です。1つ目のあとは移籍という形で環境を変え、2つ目のあとはそのシーズンのうちに代表へ届いたという並びになります。
鼻骨骨折から退団までが2か月ほど、そこから2022年7月にジェイテクトSTINGSへの入団が発表されるまでが約半年。この期間に、noteを始めるなど発信の面でも新しいことに手を伸ばしています。
右足関節捻挫のほうは、4月に離脱してから約4か月後の8月に代表合宿へ招集されました。怪我が長引いていれば、この夏の招集には間に合っていなかったはずです。
河東祐大が日本代表に初選出されるまで
男子日本代表のA代表に初めて選ばれたのは、2026年、28歳のときでした。8月上旬に打診を受け、8月25日のブラジル戦でデビュー、9月のアジア選手権で優勝してロサンゼルス五輪の出場権をつかむ、という流れです。
ここまで積み上げてきたものが、28歳で一気に形になった夏でした。順を追って見ていきます。
打診は2026年8月上旬・即答で「行きます」
代表からの打診があったのは2026年8月上旬でした。ご本人は取材に対し「チームからこのようなお話が来ていると聞いて、『行きます』と即答しました」と振り返っています。
迷いのない返事です。28歳という年齢を考えると、待ち続けてようやく来た話だったのだろうと想像できます。
合宿では監督から「自分が持っている力を出してほしい」と言葉をかけられたことも明かしています。新しく入った選手に対して、役割を限定せずに送り出す形の言葉でした。
ブラジル戦でA代表デビュー
A代表としての初舞台は2026年8月25日のブラジルとの親善試合でした。起用のされ方は二枚替えで、途中から流れを変える役割です。
試合後にご本人が語ったのは「思ったよりは緊張しませんでした」という言葉でした。世界の強豪を相手にした初舞台で、この言い方ができるところに性格が出ています。
同じセッターの先輩である深津英臣選手は、河東選手の特徴をこう語っています。「彼の特徴ってアップダウンがない。精神的にもすごく安定した状態で生活してるし、取り組んでいるし、それがプレーにも出ている」。そのうえで「常に同じぐらいの技術をコートで出してくれる。計算しやすいところが彼の魅力」と続けました。
アジア選手権2026で優勝しロサンゼルス五輪の出場権をつかんだ
日本はアジア選手権2026で優勝し、河東祐大選手もその一員として2028年ロサンゼルス五輪の出場権をつかみました。メンバー14人の発表は9月3日、大会は9月4日から13日まで北九州市で行われ、表彰式は9月13日でした。
読売新聞によると、この大会が河東選手にとってA代表の公式戦デビューでした。初戦のオマーン戦から途中出場し、最初のトスを高橋藍選手のバックアタックにつないでいます。
本人は、招集される前は五輪を遠い先のことだと思っていたが、目の前の目標になってきた、と話しています。大会のあとはすぐにアジア競技大会のチームにも加わり、合流から2か月ほどを代表で走り続けた夏になりました。

結婚から4年、第一子の誕生から9か月。家族が増えた時期に、五輪の切符までつかんだんですね。
河東祐大に関するQ&A
河東祐大は結婚していますか?
結婚しています。ご本人がInstagramで「兼ねてよりお付き合いしていた方と昨年結婚いたしました」と報告しており、2025年12月には第一子の誕生も伝えています。
河東祐大の妻はどんな人ですか?
河東祐大選手の妻はバレーボール関係者ではない一般の方で、それ以外は名前・年齢・職業・顔写真のいずれもご本人からは出ていません。「年下の美人」といった話は、読む側の推測が広がったものです。
河東祐大の子どもはいつ生まれましたか?
河東祐大選手の子どもが生まれたのは2025年12月25日です。その日のうちにご本人がSNSで「先日、第一子が無事に誕生しました」と報告しました。性別と名前は書かれていません。
河東祐大の読み方は?
河東祐大は「かわひがし ゆうだい」と読みます。「かとう」でも「ゆうた」でもありません。名字の「河東」は「かとう」と読ませる例もあるため、間違えやすい名前です。
河東祐大は何歳ですか?
河東祐大選手は28歳です。1998年2月7日生まれで、2026年2月に28歳になりました。日本代表に初めて選ばれたのもこの年齢のときです。
河東祐大の出身中学と高校はどこですか?
出身中学は鹿児島市立吉野中学校、出身高校は鹿児島商業高等学校です。小学校は吉野東小学校で、大学は日本体育大学へ進みました。
河東祐大の出身地はどこですか?
河東祐大選手の出身地は鹿児島県鹿児島市です。小学1年生のときにお姉さんの影響でバレーボールを始め、高校まで鹿児島で過ごしました。
河東祐大の怪我はどんなものでしたか?
河東祐大選手の怪我は鼻骨骨折と右足関節捻挫の2つです。2021年11月にホームゲームの撤収作業中に鼻骨を骨折して手術を受け、2026年4月には試合中に右足関節を捻挫しました。どちらも復帰しています。
河東祐大はいつ日本代表に選ばれましたか?
河東祐大選手が日本代表に初めて選ばれたのは2026年です。8月上旬に打診を受けて合宿に参加し、8月25日のブラジル戦でA代表デビュー、9月のアジア選手権では優勝メンバーになりました。
河東祐大の身長とポジションは?
身長175cm、ポジションはセッターです。左利きで、ジェイテクトSTINGS愛知では背番号6を付け、2026-27シーズンは副主将を務めます。
まとめ|河東祐大の結婚と妻・高校・出身中学
河東祐大選手は結婚を本人が報告済みで、妻は一般の方です。
- 発表は2023年、入籍はその前年とみられる
- 第一子は2025年12月25日に誕生
- 出身中学は吉野中学校、高校は鹿児島商業高校
- 大学は日本体育大学で、ポジションはセッター
- 2026年アジア選手権で優勝メンバーに
家族が増えた年に代表で結果を出した28歳のセッターです。これからの代表戦でのトスにも注目したいですね。

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