2026年9月12日の水戸戦で終盤にピッチへ送り出され、その足でU-21日本代表に合流した大関友翔さん。川崎フロンターレで背番号16をつける、2028年ロサンゼルス五輪世代の司令塔です。
合流した先は、地元の愛知・名古屋で9月15日から10月3日まで開かれたアジア大会です。背番号14をつけ、9月20日のキルギス戦で1得点。日本は決勝で韓国に0-1で敗れ、準優勝(銀メダル)で大会を終えました(日本サッカー協会の大会日程・結果ページより)。
名前で検索すると、結婚、大学、高校、斜視と、サッカー以外のキーワードがずらりと並びます。どれもクラブが出している公式のプロフィールにあたると、答えの手がかりが残っていました。
大関友翔さんは結婚していません。川崎フロンターレの公式プロフィールで「結婚の決め手」を聞かれ、本人が「してません」と答えています。
- 公式プロフィールの結婚に関する回答を、4シーズンぶん並べた結果
- 大学に進まなかった理由と、高校が神奈川県立生田東高等学校であること
- 斜視というキーワードが出てくる理由と、視力の欄に書かれている数字

まだ21歳ですよね。結婚しているかどうかって、どこを見れば分かるんでしょうか…
大関友翔は結婚してる?公式プロフィールでしてませんと答えている

大関友翔さんは結婚していません。川崎フロンターレの公式プロフィールにある「結婚の決め手」という質問に、本人が「してません」と答えています。
この質問は毎シーズンのプロフィールに並んでいて、答えは年によって入れ替わります。そこで2022年から2026年までの4シーズンぶんを、結婚と家族に関わる欄だけ抜き出して並べました。
| シーズン(背番号) | 結婚の決め手 | 恋人・パートナーに求めるもの | 家族の欄 |
|---|---|---|---|
| 2022(33) | 回答なし | 回答なし | 独身(父、母、兄) |
| 2023(28) | してません | 料理ができる | 欄そのものがない |
| 2025(16) | 「この人だ」と思い | 健康でいること | 欄そのものがない |
| 2026特別(16) | してません | 料理ができる | 欄そのものがない |
4シーズンのうち3シーズンで、結婚していないことがそのまま読み取れる答えが入っています。2025年の「この人だ」と思いという回答も、これから結婚するとしたら何が決め手になるかを答えた形です(2026年9月15日に確認)。
2022年のプロフィールには家族の欄に独身と書かれていた
2022年のプロフィールには、いまは無くなった「家族」という欄があります。そこに独身(父、母、兄)と書かれていました。
この年、大関さんは高校3年生で、トップチームの公式戦に出られる2種登録選手でした。兄弟構成の欄にも「兄、自分」とあり、父・母・兄との4人家族だと分かります(川崎フロンターレ 選手・スタッフプロフィール2022)。
翌2023年から、この家族欄はプロフィールの様式から消えました。クラブ自身が独身と明記した記録は、いまのところ2022年のこの1か所だけです。
2023年の会報では結婚を将来の話として語っている
2023年のクラブ公式ファンクラブ会報でも、結婚はこれから先の話として語られています。寮の部屋を紹介する企画で、L字ソファに憧れていると話した場面です。
「もし将来、一人暮らしをしたり、結婚したら、必ず置きたい」という言い方でした。当時は寮暮らしで、一人暮らしと結婚が同じ並びに置かれています。
彼女の発表も熱愛報道も出ていない
彼女についても発表はありません。交際相手を伝えた報道も出ていません。
2026年1月のU-23アジアカップのあと、ベトナムでの人気を取り上げたベトナムメディア『VGT TV』の記事も「現在まで交際相手の存在を公表していない」と書いています。SNSに上がるのは練習と試合、それに旅行の風景が中心だという説明でした。
そのかわり、好みの話は公式プロフィールにそろっています。好きな女性のタイプは2023年が余裕のある人、2025年が大人な女性。理想のデートプランは2025年がのんびりデート、2026年は夜景を見るでした。

クラブのプロフィールは毎年更新されるので、同じ質問の答えを並べると変化が見えてきます。
大関友翔の大学は?高校を出てそのまま川崎フロンターレへ

大関友翔さんは大学に進んでいません。神奈川県立生田東高等学校を卒業した2023年に、川崎フロンターレのトップチームへ昇格しています。
公式プロフィールの所属チーム略歴には、学校名も一緒に載っています。並べると、小学校から高校まで通った学校がすべて川崎市内でした。
| 時期 | 学校 | サッカーの所属 |
|---|---|---|
| 小学生 | 川崎市立真福寺小学校 | 真福寺FC → FC多摩ジュニア |
| 中学生 | 川崎市立柿生中学校 | FC多摩ジュニアユース |
| 高校生(2020〜2022年) | 神奈川県立生田東高等学校 | 川崎フロンターレU-18 |
| 2023年〜 | ― | 川崎フロンターレ |
大学に進まなかったのは高校3年でもう昇格が決まっていたから
大学に進まなかったのは、高校3年の時点でトップ昇格が決まっていたからです。2022年6月に、松長根悠仁さんと一緒にトップ昇格が内定しました。
同じ2022年には、公式戦に出場できる2種登録選手にもなっています。高校生のまま、J1の試合に出られる立場になっていました。
高校は神奈川県立生田東高等学校
高校は神奈川県立生田東高等学校です。川崎市多摩区にある県立の共学校で、実家のある麻生区からは電車と自転車で通える距離にあります。
サッカーは学校の部活ではなく、川崎フロンターレU-18でプレーしていました。Jクラブのアカデミーに入る選手によくある形で、平日は学校、放課後はクラブの練習という生活になります。
高校3年間はU-18で10番をつけてキャプテンも務めた
高校3年間は、1年生から試合に出続けて背番号10を背負うまでになりました。2年でプリンスリーグ関東優勝、3年でプレミアリーグEAST優勝と、タイトルも重ねています。
3年生ではキャプテンも経験しました。高井幸大さんが代表などで不在のときに任されたもので、本人は「今までは自分のプレーがよかったりアピールすることが大事だと思っていたのが、チームあってのことだと考えさせられることも多かった」と振り返っています。
この年の8月には、SBSカップ国際ユースサッカーにU-18日本代表として出場し、ここでも10番をつけました。
大関友翔の斜視というキーワードが出てくる理由は?発表はない
斜視については、本人もクラブも発表していません。川崎フロンターレの公式プロフィールにある視力の欄は、2022年から2026年まで一貫して1.0と書かれています。
| シーズン(背番号) | 視力の欄 |
|---|---|
| 2022(33) | 1.0 |
| 2023(28) | 1 |
| 2025(16) | 1.0 |
| 2026特別(16) | 1.0 |
クラブが公表しているのは、この数字だけです。目に関する診断や治療を伝えた発表は、4シーズンぶんのプロフィールのどこにもありませんでした(2026年9月15日に確認)。
プロフィールの様式は年によって質問が入れ替わりますが、視力の欄だけは4シーズン続けて残っています。それでも数字が動いたことは一度もなく、両目とも1.0のままです。
目のけがの話は大相撲の力士のできごと
目のけがとして伝えられているのは、大相撲の力士のできごとで、別の人の話です。
名字の「大関」は相撲の番付と同じ言葉です。目やけがと一緒に検索すると相撲の話が混ざるので、名前だけで受け取ると取り違えてしまいます。
目線の話題が出やすいのは武器が相手の目線を外すプレーだから
目線の話題が出やすいのは、持ち味そのものが目の使い方だからだと私は思っています。
クラブの公式紹介文は、彼のプレーを「長短のパスでボールを散らし相手の目線をそらし」と説明しています。本人も自分の武器を「技術、逆をとる」、意識してきたことを「常に相手の矢印を外す、逆をとる」と答えています。
ボールを受ける前に首を振って周りを見る回数が多い選手なので、静止画で切り取ると視線が正面から外れて写ります。ここが目の話題につながりやすいところだと考えられます。
ただし、これはプレーの特徴から説明できる範囲の話です。健康に関わることについて、公式に出ている情報は視力の数字しかありません。
大関友翔の兄は実践学園高校で選手権に出た5歳上のサイドバック
大関友翔さんの兄は5歳上で、右サイドバックの選手でした。実践学園高校の3年生のときに、インターハイと全国高校サッカー選手権に出場しています。
本人がクラブ公式ファンクラブの会報で語った内容です。足が速くて上下動ができ、クロスを上げてチャンスを作るタイプだったといいます。
サッカーを4歳で始めたきっかけも兄
サッカーを4歳で始めたきっかけは、兄がやっていたからです。公式プロフィールの「サッカーを始めたきっかけ」欄には、2023年が「兄がしていた」、2025年が「兄の影響」と書かれています。
中学までは兄を追いかけて同じクラブでプレーしていました。スパイクや服も兄の真似をして生きてきたと話しています。
お前が一番うまいよと声をかけてくれる関係
兄は試合を見に来ては「お前が一番うまいよ」と声をかけてくれたそうです。公式プロフィールの家族のプチ自慢の欄にも、2023年と2026年の両方で「兄が選手権に出た」と書いています。
兄の選手権は、東京都大会の決勝も全国大会も応援に行ったといいます。1人少ない状況でアディショナルタイムに決勝点が入った試合では、応援席で自分が一番盛り上がっていたと笑って振り返っていました。
父も後援会の会員で実家では叔母とも暮らしていた
家族は父・母・兄との4人で、父はクラブ後援会の会員です。トップ昇格1年目に受けた取材で、本人が「父も後援会会員なので感慨深いです」と話しています。
川崎市麻生区の実家では、叔母とも一緒に暮らしていた時期がありました。叔母の腰痛が和らぐようにと買ったビーズソファが気に入って、寮に移るときに自分用にも買ったそうです。
子どものころは父と一緒に麻生グラウンドの練習見学へ通っていました。中村憲剛さんのサインをもらいたくて日が暮れるまで待った思い出も語っています。
大関友翔の怪我は2026年3月の左足首で7月に代表へ復帰した
大関友翔さんの怪我は、2026年3月14日の鹿島アントラーズ戦で負った左足関節捻挫です。クラブは3月19日に、前下脛腓靭帯損傷と診断されたと発表しました。
復帰までに要する期間は公表されていません(川崎フロンターレ「大関友翔選手のケガについて」)。
2月から6月のシーズンは2度の離脱で5試合の出場にとどまった
この年の2月から6月に行われた百年構想リーグは、2度の離脱があって5試合の出場にとどまりました。スポーツ報知のインタビューで本人が振り返っています。
前の年は川崎に戻って25試合2得点、リーグ戦の出場時間は599分でした。数字だけを並べると、3月の怪我がシーズンの流れを止めたことがはっきり出ています。
復帰がはっきりしたのはアジア大会のメンバー発表
復帰がはっきり見えたのは、2026年7月31日のメンバー発表でした。アジア大会に臨むU-21日本代表に名前が戻っています。
鹿島戦の負傷のため、それまでの2度の招集からは外れていました。発表の日、本人は「すごく嬉しい気持ちと、すごく大きな大会でもありますし、しっかりと優勝できるように頑張りたい」と話しています。
大関友翔の経歴は4歳で始めて福島での1年が転機になった
大関友翔さんの経歴で一番の転機は、2024年の福島ユナイテッドFCへの育成型期限付き移籍です。J3で32試合8得点を挙げ、優秀選手賞とベストイレブンに選ばれました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 2005年2月6日 | 神奈川県川崎市麻生区に生まれる |
| 4歳 | 兄の影響でサッカーを始める |
| 2020年 | 川崎フロンターレU-18へ。生田東高校に入学 |
| 2022年6月 | トップ昇格が内定。2種登録選手にもなる |
| 2023年 | トップチームへ昇格。7月29日のバイエルン戦でデビュー |
| 2024年 | 福島ユナイテッドFCへ期限付き移籍。J3で32試合8得点 |
| 2025年 | 川崎へ復帰。4月9日の横浜FM戦でJ1初出場と初得点 |
| 2025年7月8日 | E-1選手権の香港戦でA代表デビュー |
| 2026年1月 | U-23アジアカップで優勝 |
プロ1年目はリーグ戦の出場がゼロだった
プロ1年目の2023年は、リーグ戦の出場がゼロでした。デビューは7月29日のJリーグワールドチャレンジ、相手はバイエルン・ミュンヘンという大きな舞台です。
公式戦はアジアチャンピオンズリーグの1試合だけ。天皇杯優勝のメンバーには入りましたが、リーグ戦のピッチには立てないまま1年が終わりました。
福島での32試合8得点が評価を一気に変えた
評価を変えたのは、福島での32試合8得点です。開幕戦からスタメンをつかみ、リーグ戦の出場時間は2,768分に達しました。
2024年12月27日に期限付き移籍期間の満了が発表され、2025年から川崎に戻ります。復帰後は4月9日の横浜F・マリノス戦でJ1初出場と初得点を同時に記録しました。
A代表デビューは2025年7月の香港戦
A代表デビューは2025年7月8日のE-1選手権・香港戦です。後半から途中出場し、チームは6-1で勝ちました。
7月12日の中国戦にも出場し、国際Aマッチの出場は2試合となっています。世代別ではU-17から代表に呼ばれ続け、2025年のU-20アジアカップ、2026年のU-23アジアカップにも出ています。
大関友翔がイケメンと言われるのはベトナムでの人気から
大関友翔さんがイケメンと言われるようになったのは、2026年1月のU-23アジアカップがきっかけです。ベトナムのSNSで人気が一気に広がりました。
火がついたのは準決勝の中国戦。開始12分、ペナルティエリア内から放ったシュートで、大会屈指と言われたGKから先制点を奪った場面です。
現地メディアは端正でワイルドなルックスと伝えた
ベトナムメディア『VGT TV』は、端正でワイルドなルックスによってSNS上でも一躍有名になったと伝えています。
整った顔立ちと、長めの髪が醸し出すロマンチックな雰囲気を称える声が、女性ファンから多く寄せられたという説明でした。大会のあと、本人のSNSのフォロワーは2万5千人から3万2千人以上へ増えたとしています。
ベトナムはこの大会で3位決定戦まで勝ち上がり、パブリックビューイングに人が詰めかけるほど盛り上がっていました。その中で日本の背番号8が注目を集めた形です。
本人が挙げる好きなところは笑顔と顔の小ささ
本人が公式プロフィールで挙げる自分の一番好きなところは、笑顔と顔の小ささです。2023年版ではチャームポイントの欄にも笑顔と書いています。
その一方で、第一印象でよく言われることの欄には「話しかけづらい」と答えていました。試合中の表情と、会報のインタビューで見せる話し方のギャップが、人気の理由になっているのかもしれません。
大関友翔の現在はアジア大会で準優勝・1得点
大関友翔さんは、U-21日本代表として出たアジア大会で準優勝しました。2026年9月12日の水戸戦のあとに川崎フロンターレを離れ、10月3日の決勝まで代表で戦っています。
9月20日のキルギス戦では、39分にゴールを決めています。日本で行われる大きな大会を代表として戦うのは初めてだと、本人は大会前に話していました。
秋春制の初年度はここまで途中出場が中心
秋春制で始まった2026-27シーズンは、ここまで途中出場が中心です。リーグ戦の先発はまだありません。
中盤は脇坂泰斗さん、山本悠樹さん、橘田健人さんの3人で固まっていて、そこを崩すのが当面の課題になっています。
9月12日の水戸戦では、1点リードの83分から出場しました。ポジションは本職のボランチやトップ下ではなく、4-2-3-1の一番前。前線に離脱者が出たなかでの起用でした。
試合はそのまま1-0で川崎の勝ち。ピッチに入るなり全力で相手のボールを追い回し、ハーフタイムには相手ベンチ裏まで走って仲間をハイタッチで迎えていたと伝えられています。
目標は2028年ロス五輪と2030年ワールドカップ
目標にしているのは、2028年のロサンゼルス五輪と2030年のワールドカップです。シーズン開幕前のインタビューではっきり口にしています。
U-21日本代表を率いる大岩剛監督は、2027年3月からA代表との兼任が決まりました。本人は「直接アピールするいい機会」と受け止めています。
大関友翔についてよくある質問
結婚していますか
結婚していません。川崎フロンターレの公式プロフィールで「結婚の決め手」を聞かれ、2023年版と2026年特別シーズン版の両方で「してません」と本人が答えています。
彼女はいますか
彼女がいるという発表はありません。熱愛を伝えた報道も出ておらず、公式プロフィールに載っているのは好きなタイプや理想のデートプランといった好みの回答だけです。
大学はどこですか
大学には進んでいません。高校3年だった2022年6月にトップ昇格が内定し、2023年にそのまま川崎フロンターレへ加入しています。
高校はどこですか
高校は神奈川県立生田東高等学校です。サッカーは学校の部活ではなく川崎フロンターレU-18でプレーし、3年生では背番号10をつけていました。
兄は何をしている人ですか
兄は5歳上の右サイドバックの選手で、実践学園高校3年のときにインターハイと全国高校サッカー選手権に出場しました。現在の職業は公表されていません。
何歳ですか
21歳です。2005年2月6日生まれのみずがめ座で、身長178センチ、体重67キロ、血液型はO型と公表されています。
出身はどこですか
出身は神奈川県川崎市麻生区です。小学校は川崎市立真福寺小学校、中学校は川崎市立柿生中学校で、どちらも市内にあります。
背番号は何番ですか
背番号は川崎フロンターレで16番です。加入1年目の2023年は33番、2024年の福島ユナイテッドFCでは14番、2025年から16番をつけています。
大関友翔の結婚と大学や高校のまとめ
大関友翔さんは結婚しておらず、大学にも進まずに高校からそのままプロになりました。
- 公式プロフィールで結婚は「してません」
- 高校は県立生田東、サッカーは川崎U-18
- 斜視の発表はなく、視力の欄は1.0
- 兄は5歳上の右サイドバック
- アジア大会は準優勝で1得点
結婚も彼女も、いまのところ本人からの発表を待つ段階です。これからの試合に注目しておくと、変化にも気づきやすくなります。

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