医師で弁護士で、自民党の参議院議員。古川俊治(ふるかわ としはる)さんは、ほかにあまり例のない経歴を持つ政治家です。
その古川俊治さんについて、いま多くの人が調べているのが父親のことです。実家が埼玉県の大きな病院で、TRFのSAMさんがいとこにあたるとも伝えられているからですね。
妻や息子はどんな人なのか、家族構成や家系図はどうなっているのか、気になるところだと思います。そこで当記事では、公式サイトと本人の国会での発言、学術データベースに残る記録をもとに、次のことをお伝えします。
古川俊治さんの父は、さいたま市岩槻区の丸山記念総合病院で名誉院長を務めた医師の古川俊隆さんです。2016年1月1日に88歳で亡くなっています。
- 父の古川俊隆さんが何をしてきた医師で、いつ亡くなったのか
- 学術データベースに残る論文40本でたどる、父の51年間
- 息子をふくむ3人の子どもと、妻についていま分かっていること
- 家族構成の一覧と、TRFのSAMさんへつながる家系図
- 実家といわれる丸山記念総合病院と、本人の説明
- 開成高校から慶應義塾大学医学部へ進んだ経歴と、病気というキーワードで検索される理由

お父さんもお医者さんなんですか?家族のこともまとめて知りたいです。
古川俊治の父は丸山記念総合病院の名誉院長だった古川俊隆

古川俊治さんの父は、さいたま市岩槻区の丸山記念総合病院で名誉院長を務めた古川俊隆さんです。1954年に東京大学を卒業した医師で、外科を専門にしていました。
父が病院のトップを務めていたことは、医療関係者向けの専門誌である日本医事新報の訃報にはっきり書かれています。政治家ではなく、最後まで医師だった人です。
父の古川俊隆は2016年1月1日に88歳で亡くなっている
父の古川俊隆さんは、2016年1月1日に88歳で亡くなりました。日本医事新報が同月9日付で伝えた訃報に、逝去日と年齢、そして古川俊治参議院議員の父であることが記されています。
同じ日の訃報は、日本経済新聞と共同通信も配信しました。参議院議員の父という立場と、丸山記念総合病院名誉院長という肩書きの両方が見出しに入っています。
88歳という年齢から逆算すると、生まれたのは1927年(昭和2年)ごろです。息子である古川俊治さんが参議院議員になったのは2007年なので、父は息子が国政に出てからおよそ8年半のあいだ健在だったことになります。
| 項目 | 父・古川俊隆さんについて分かっていること |
|---|---|
| 逝去 | 2016年1月1日・88歳 |
| 生まれ | 年齢から逆算して1927年(昭和2年)ごろ |
| 学歴 | 1954年に東京大学卒業 |
| 肩書き | 丸山記念総合病院 名誉院長 |
| 専門 | 外科(消化器の症例報告が中心) |
| 報じた媒体 | 日本医事新報、日本経済新聞、共同通信 |
論文に残る51年は人工腎臓の研究から始まった
父がどんな医師だったかは、学術論文の記録をたどるといちばんよく分かります。国立情報学研究所の学術データベースCiNii Researchで著者名を照合すると、古川俊隆さんの名前が入った論文が40本見つかります。
いちばん古いものは1958年、いちばん新しいものは2009年。51年にわたって医学の記録に名前が残っていることになります。
出発点は、人工腎臓(いまの人工透析装置)の研究でした。1959年の綜合医学に「D-L型人工腎臓の実験的並びに臨床的研究」を単著で発表しています。透析がまだ日本に広まる前の時代です。
そのあと扱う分野は、外科の手術そのものへ移っていきます。主なものを年代順に並べると、次のようになります。
| 発表年 | 報告した内容 | 掲載誌 |
|---|---|---|
| 1958年 | D-L型人工腎臓の臨床と放射性物質の除去に関する実験的研究 | 日本循環器学誌 |
| 1959年 | D-L型人工腎臓の実験的並びに臨床的研究(単著) | 綜合医学 |
| 1962年 | 教室における人工透析装置の変遷とその比較検討 | 医科器械学雑誌 |
| 1964年 | 外科における接着剤応用の現状 | 臨床外科 |
| 1976年 | 横隔膜損傷 | 日本災害医学会会誌 |
| 1977年 | 三重複がん(子宮・乳・直腸)の1手術治験例 | 臨床外科 |
| 1987年 | 食道原発の粘表皮がんの1例 | 日本臨床細胞学会雑誌 |
| 1998年 | 陰茎がんと膀胱がんの重複がんの1例 | 臨床泌尿器科 |
| 2003年 | 虫垂炎症状を呈した盲腸がんの4例 | 日本消化器外科学会雑誌 |
| 2009年 | 急性虫垂炎の開腹手術における虫垂断端の処理について | 日本消化器外科学会雑誌 |
並べてみると、1980年代の後半から報告の数が一気に増えているのが分かります。40本のうち20本以上が1986年から2009年のあいだに集まっていました。
1986年からは丸山記念総合病院の医師たちとの連名が続く
1986年以降の論文でいちばん目を引くのは、共著者に丸山正董さんの名前が何度も並ぶことです。丸山正董さんは、丸山記念総合病院の理事長を務めた人物です。
食道、胃、乳腺、前立腺、膀胱。2人が連名で出した症例報告は、体のさまざまな場所のがんに及んでいます。1986年の食道小細胞性未分化がんの報告から、2009年の虫垂の手術の報告まで、20年以上にわたって同じ顔ぶれが並びます。
つまり父の古川俊隆さんは、名誉院長という肩書きだけの人ではなかったということです。病院の医師たちと一緒に症例を報告し続け、80歳を過ぎた時期まで記録に名前が残っています。
息子の古川俊治さんが慶應義塾大学の外科医として消化器を専門にしたのも、こうした父の背中を見ていたからではないかと考えられます。
首相秘書官を務めた同姓同名の人物とは別人
ここで1つ注意したいのが、古川俊隆という名前の人物がもう1人いることです。小渕恵三内閣で首相秘書官を務めた人で、1998年から2000年ごろの週刊誌記事に名前が出てきます。
この人物は医師ではなく、古川俊治さんの父とはまったくの別人です。ウィキペディアの丸山記念総合病院の項目にも、父と同姓同名の人物が首相秘書官を務めたことがある、とわざわざ注記されています。
名前だけを拾うと取り違えてしまうので、肩書きまで見て区別するのが安全です。父のほうは常に「丸山記念総合病院名誉院長」という肩書きとセットで出てきます。
古川俊治の息子は3人きょうだいの真ん中

古川俊治さんの息子は長男ひとりで、長女・長男・次女という3人きょうだいの真ん中です。公式サイトのプロフィール欄に、家族として愛妻・長女・長男・次女と書かれています。
名前や顔写真、いまの職業は表に出ていません。ただ、息子の年齢につながる手がかりが1つだけ、思わぬところに残っていました。
長男は2005年に小学校へ入学したと本人が話している
長男が小学校に入ったのは2005年です。これは古川俊治さん本人が、参議院の厚生労働委員会で口にしています。
2008年11月13日の委員会で、食事摂取基準の見直しが5年ごとである点を問題にしたときのことです。「うちの子、2005年に、僕の息子ですけれども、小学校に入ったんですよ」と切り出し、基準が間違っていたら5年間そのまま進んでしまうと指摘しました。
2005年4月に小学校へ入学したということは、生まれたのは1998年4月から1999年3月のあいだということになります。2026年9月時点では27歳か28歳ですね。
親としての実感を政策の話に持ち込んだ場面なので、息子の存在が確認できる発言としては、かなり確かなものだといえます。
息子が医師になったかどうかは分かっていない
息子が医師になったかどうかは、分かっていません。公式サイトにも、本人のSNSにも、進学先や職業にふれた記述はありませんでした。
それでも「息子も医師では」と語られるのは、家の事情を知れば自然な想像だと思います。祖父が病院の名誉院長で、父が外科医で大学教授で、母も医師。医師が3人そろった家で育っているからです。
ただし、想像と事実は分けておきたいところです。いまの時点で確かなのは、3人きょうだいの真ん中に長男がいること、その長男が1998年度生まれであることの2つだけになります。
古川俊治の妻は循環器が専門の医師
古川俊治さんの妻は医師で、専門は循環器です。名前や顔写真は表に出ていませんが、職業と専門分野については本人がはっきり口にしています。
名前が出ていないぶん、妻のことは何も分からないと思われがちなところですね。手がかりは、公式のプロフィールではなく国会の議事録に残っていました。
妻が医師だと分かるのは本人の国会での発言
妻の職業が分かるのは、2008年12月9日の参議院厚生労働委員会での発言です。医薬品医療機器総合機構(PMDA)の審査体制を取り上げた質疑のなかで、こう話しています。
実は、私の家内も医師をしておりますけれども、私の家内のところにも、循環器をやっておりますのでPMDAからお誘いをいただいたんですよ、来てくれないかと。
参議院 厚生労働委員会 第8号(2008年12月9日)
この一言から、妻が医師であること、専門が循環器であること、PMDAから声をかけられるだけの経歴があることの3つが分かります。国の審査機関が転職を打診する相手ですから、相応の実績を積んだ医師だと考えられます。
古川俊治さんはこのあと、審査機関の将来が見通せないと医師は転職に踏み切れない、と続けました。妻の話は、その主張を支える実例として出されたものです。
妻の名前や顔写真は表に出ていない
妻の名前、旧姓、顔写真、勤務先はいずれも表に出ていません。公式サイトの家族欄も「愛妻」の2文字だけで、氏名は載っていません。
結婚した時期や馴れ初めについても、本人が語った記録はありません。慶應義塾大学病院の関係者ではないかという話もありますが、裏づけとなる発表はありません。
医師である妻が名前を出さないのは、めずらしいことではないと思います。診療している病院に取材や問い合わせが向かえば、患者さんの迷惑になってしまいますからね。

名前は出ていませんが、職業と専門は本人の口から出ています。
古川俊治の家族構成は妻と3人の子どもの5人
古川俊治さんの家族構成は、本人と妻、長女・長男・次女の合わせて5人です。公式サイトのプロフィール欄に、家族として愛妻・長女・長男・次女と並べて書かれています。
ここまでに出てきた事実を、一覧にまとめておきます。父と母、そして自分の家族まで、医療に関わる人が並ぶ家です。
| 続柄 | 分かっていること | どこで分かるか |
|---|---|---|
| 父 | 古川俊隆さん。丸山記念総合病院名誉院長。2016年1月1日に88歳で逝去 | 日本医事新報の訃報 |
| 母 | 名前も出身も明らかになっていない | - |
| 本人 | 1963年1月14日生まれの63歳。外科医・弁護士・参議院議員 | 公式サイトのプロフィール |
| 妻 | 医師。専門は循環器。氏名は非公表 | 2008年12月9日の参議院厚生労働委員会 |
| 長女 | 公式サイトの家族欄に記載。年齢・職業は非公表 | 公式サイトのプロフィール |
| 長男 | 2005年に小学校へ入学。1998年度生まれとみられる | 2008年11月13日の参議院厚生労働委員会 |
| 次女 | 公式サイトの家族欄に記載。年齢・職業は非公表 | 公式サイトのプロフィール |
| いとこ | TRFのSAMさん。1年違い | 公式サイトのプロフィール |
子ども3人の順番は、公式サイトの並びが長女・長男・次女になっています。この並びどおりなら、長男は上に姉、下に妹がいる真ん中の子ということになりますね。
古川俊治の家系図でつながるのはTRFのSAM
古川俊治さんの家系図でいちばん知られているのが、ダンスユニットTRFのSAMさんがいとこにあたるという関係です。これは噂ではなく、本人が公式サイトのプロフィールに自分で書いています。
いとこというつながりを手がかりにすると、母方の家について見えてくるものがあります。順番に見ていきます。
SAMとは1年違いのいとこで幼稚園も一緒に通った
SAMさんとは1年違いのいとこ同士です。公式サイトのプロフィールには、幼稚園へ毎日一緒に行き、一緒に遊ぶ仲だったこと、いまでも良き相談相手として親交が深いことまで書かれています。
1963年1月生まれの古川俊治さんに対し、SAMさんは1962年9月生まれ。学年でいえば同じ学年で、生まれ月が4か月違いです。幼稚園に一緒に通えた理由がここにあります。
いとこというのは、親のきょうだいの子どものことです。つまり古川俊治さんの親のどちらかと、SAMさんの親のどちらかがきょうだいということになります。
SAMさんの父は、さいたま市岩槻区で産婦人科医をしていた丸山正義さんです。丸山記念総合病院の創設者のひとりで、1998年に69歳で亡くなっています。
丸山家は明治から続く医師の家系
SAMさんの家である丸山家は、明治のころから代々医師を務めてきた家系です。岩槻の地で医院を開き、それが現在の丸山記念総合病院になりました。
SAMさんの曽祖父にあたる丸山五郎さんは、1872年に生まれた医師で、衆議院議員も務めた人物です。岩槻で丸山医院を開いたのがこの人でした。病院の沿革では、1896年(明治29年)12月の丸山醫院開設が出発点になっています。
そこから、祖父の丸山正さん、父の丸山正義さん(産婦人科医)へと続きます。SAMさんの兄は歯科医、弟は産婦人科医と整形外科医で、きょうだいがそろって医療の道に進んでいる家です。
古川俊治さんとSAMさんがいとこで、SAMさんの父が丸山記念総合病院の創設メンバー。そして古川俊治さんの父が同じ病院の名誉院長です。
この3つを重ねると、古川俊治さんの母方が丸山家につながっている可能性が高いと考えられます。ただし、どちらの親を通してつながっているかまでは分かっていません。
| 人物 | 立場 | 古川俊治さんとの関係 |
|---|---|---|
| 丸山五郎さん(1872年生まれ) | 医師・衆議院議員。岩槻に丸山医院を開く | SAMさんの曽祖父 |
| 丸山正義さん(1998年に69歳で逝去) | 産婦人科医。丸山記念総合病院の創設者のひとり | SAMさんの父 |
| 丸山正董さん | 丸山記念総合病院の理事長を務めた医師 | 父の共著者として20年以上連名 |
| SAMさん(1962年生まれ) | TRFのダンサー | 1年違いのいとこ |
| 古川俊隆さん(2016年に88歳で逝去) | 丸山記念総合病院 名誉院長 | 父 |
兄弟がいるかどうかは分かっていない
兄や弟、姉や妹がいるかどうかは分かっていません。公式サイトのプロフィールにも、家族として書かれているのは妻と3人の子どもだけです。
それでも兄弟というキーワードで調べる人が多いのは、いとこのSAMさんのきょうだいが全員医師だと知られていることが関係していると思います。医師の家系という話とセットで読むと、本人にもきょうだいがいるのだろうかと気になりますよね。
本人の経歴をたどっても、きょうだいの存在をうかがわせる発言はありません。分かっていないことは、分かっていないままにしておくのが正確だと思います。
古川俊治の実家は岩槻の丸山記念総合病院
古川俊治さんの実家は、さいたま市岩槻区にある丸山記念総合病院です。本人が公式サイトのプロフィールで、実家であるさいたま市岩槻区内の医療法人の医師として地域医療に従事してきた、と書いています。
生まれたのも旧岩槻市で、小学校も岩槻市立太田小学校。生まれ育った町の病院が実家という形です。
241床の総合病院で土日も診療している
丸山記念総合病院は、241床を持つ総合病院です。東武アーバンパークラインの岩槻駅から徒歩10分の場所にあり、内科から外科、産科、眼科まで20を超える診療科がそろっています。
公式サイトが最初に掲げているのは、土曜も日曜も通常どおり診療しているという一文です。水曜と第1日曜、祝日を除いて外来を開け、夜間と救急にも対応しています。
歴史をさかのぼると、1896年の丸山醫院にたどりつきます。1951年に医療法人として承認され、1978年に総合病院となり、1981年に現在の丸山記念総合病院という名前になりました。130年近く岩槻で続いてきた病院です。
父の代から続く地域医療が経歴の芯にある
私は、古川俊治さんの経歴でいちばん効いているのは、医師の資格でも弁護士の資格でもなく、実家の病院で地域医療を続けてきたことだと思っています。
理由は3つあります。1つ目は、本人が公式プロフィールで、大学での先端医療の研究と並べて実家での地域医療を書いていること。華やかなロボット手術の話と同じ重さで並べているのは、意識して書いている証拠だと思います。
2つ目は、父の論文の共著者が病院の医師たちだったこと。虫垂炎や胆管の症例といった、地域の病院に日々運ばれてくる患者さんの記録が中心です。
3つ目は、選挙区が埼玉県だということ。岩槻で130年続く病院と、県内で4回当選している議席は地続きです。
先端医療と政策を語る人として知られていますが、その土台には父の代から続く町の医療がある。家族のことを調べていくと、そう見えてきます。
古川俊治の経歴は医師と弁護士と参議院議員
古川俊治さんの経歴は、外科医、弁護士、慶應義塾大学教授、参議院議員という4つが重なったものです。どれか1つを辞めて次に移ったのではなく、積み重ねてきたところに特徴があります。
1963年1月14日生まれで、2026年9月現在63歳。出身はさいたま市岩槻区(旧岩槻市)です。
学歴は開成中学校から慶應義塾大学医学部へ
学歴は、開成中学校・高等学校から慶應義塾大学医学部という進み方です。1975年に開成中学に入り、1981年に開成高校を卒業しています。
公式サイトによると、中学2年の始業式に1時間遅れた一度をのぞき、中高6年間は無遅刻無欠席。岩槻駅まで自転車で2キロ走り、東武線と京浜東北線を乗り継ぐ通学だったそうです。
慶應義塾大学医学部を1987年に卒業したあとも、学ぶことをやめていません。通信教育課程で文学部を1993年に、法学部を1996年に卒業しています。医師として働きながら、社会学と法律学を学び直したことになります。
| 年 | 学歴・資格 |
|---|---|
| 1981年 | 開成高等学校 卒業 |
| 1987年 | 慶應義塾大学医学部 卒業、医師国家試験合格 |
| 1993年 | 慶應義塾大学文学部(通信教育課程)卒業 |
| 1994年 | 博士(医学)取得 |
| 1996年 | 慶應義塾大学法学部(通信教育課程)卒業、司法試験に初回受験で合格 |
| 1999年 | 弁護士登録(東京弁護士会) |
| 2005年 | オックスフォード大学サイード・ビジネス・スクール修士課程修了(MBA) |
手術支援ロボットのダビンチを日本で初めて導入した
医師としての大きな仕事が、手術支援ロボットのダビンチをアジアに先駆けて導入したことです。自民党が2026年1月に公開した本人の紹介記事で、思い出の一枚としてこの機械の調整をしている写真を挙げています。
弁護士登録をしたあとに慶應義塾大学医学部へ戻り、ダビンチの臨床研究の責任者になりました。ベルギー・ブリュッセルの大学病院に何度も滞在して操作を覚え、慶應ではゼロから術式を作っていったと書いています。
同時に、国産の新型手術ロボットを開発する研究にも加わり、いくつもの特許につながっています。医学研究で身につけたデータの扱い方が、国会議員になってからの政策づくりにも役立っていると本人は振り返っています。
参議院議員としては埼玉県選挙区で4回当選している
政治家としては、埼玉県選挙区で4回当選しています。2007年の初当選から、2013年、2019年、2025年と議席を守ってきました。
とくに2013年は100万725票を集め、埼玉県選挙区で史上初めて100万票を超えた候補になっています。2019年は78万6479票、2025年は57万3114票でいずれもトップ当選でした。
2025年10月からは、政府開発援助及び国際協力・人道支援等に関する特別委員会の委員長と、厚生労働委員会の委員を務めています。党内では社会保障制度調査会の副会長など、医療に関わる役職が並ぶのが特徴です。
| 選挙 | 年 | 得票数 |
|---|---|---|
| 第21回参議院議員通常選挙 | 2007年 | 68万4270票 |
| 第23回参議院議員通常選挙 | 2013年 | 100万725票(埼玉県選挙区で史上初の100万票超え) |
| 第25回参議院議員通常選挙 | 2019年 | 78万6479票 |
| 第27回参議院議員通常選挙 | 2025年 | 57万3114票 |
古川俊治の病気は公表されていない
古川俊治さん本人が病気を公表したという発表はありません。闘病や入院を伝える報道もありません。
では、なぜ病気というキーワードで調べる人がいるのでしょうか。理由は、本人が病気の話をする側にいることにあると考えられます。
公式サイトの健康科学コラムは47本ある
公式サイトの健康科学コラムは、2026年9月17日に確認した時点で47本あります。最新のNo.47は2026年8月6日公開の細胞治療の自由診療についてで、ここまでがんの予防、睡眠、ヒートショックなどが扱われてきました。
とくに続いているのが、がんの予防シリーズです。No.40からNo.46まで7回続き、喫煙、飲酒、食生活、身体の活動、BMI、感染と順にテーマが変わります。国立がん研究センターの統計を引きながら、どの生活習慣がどれくらいリスクを上げるかを数字で説明する内容です。
| コラム番号 | テーマ | 公開時期 |
|---|---|---|
| No.47 | 細胞治療の自由診療 | 2026年8月 |
| No.46 | がんの予防⑦・感染 | 2026年3月 |
| No.45 | がんの予防⑥・BMI | 2026年3月 |
| No.44 | がんの予防⑤・身体の活動 | 2026年3月 |
| No.43 | がんの予防④・食生活 | 2025年5月 |
| No.42 | がんの予防③・飲酒 | 2025年5月 |
| No.41 | がんの予防②・喫煙 | 2025年5月 |
| No.40 | がんの予防① | 2025年5月 |
| No.39 | ヒートショック | 2024年2月 |
| No.38 | 睡眠 | 2024年2月 |
専門が消化器のがん治療で、コラムでもがんを7回続けて扱っている。病気というキーワードで名前が並ぶのは、患者としてではなく、医師としての活動が理由だと考えられます。
父の逝去が検索につながっている可能性もある
もう1つ考えられるのが、父の逝去と結びついた検索です。2016年1月に父が88歳で亡くなったことは日本経済新聞や共同通信が伝えており、そこから家族の健康状態を調べる人がいてもおかしくありません。
実際、父というキーワードで調べると、いちばん上に並ぶのは2016年の訃報です。父の情報を探しているうちに、病気という言葉に行きつく流れは自然だと思います。
いずれにしても、本人の健康について公表された情報は無いというのが現時点での答えになります。63歳のいまも国会で質疑に立ち、地元での活動報告も毎週のように更新されています。

病気で名前が出るのは、本人が語る側にいるからでした。
古川俊治の父や家族に関するQ&A
ここまでにお伝えした内容から、とくに質問の多いところをまとめておきます。
父は誰ですか
父は、さいたま市岩槻区の丸山記念総合病院で名誉院長を務めた医師の古川俊隆さんです。1954年に東京大学を卒業し、外科を専門にしていました。
学術データベースには、1958年から2009年までの51年間にわたって論文40本が残っています。名誉院長という肩書きだけでなく、長く現役で症例を報告し続けた医師でした。
父はいつ亡くなりましたか
父が亡くなったのは2016年1月1日で、88歳でした。日本医事新報が同月9日付の訃報で、逝去日と年齢を伝えています。
同じ訃報は日本経済新聞と共同通信も配信しました。参議院議員の父という立場と、丸山記念総合病院名誉院長という肩書きの両方が見出しに入っています。
妻は医師ですか
妻は医師で、専門は循環器です。2008年12月9日の参議院厚生労働委員会で、本人が家内も医師をしていると話しています。
その場では、医薬品医療機器総合機構から声をかけられた経験も紹介されました。名前や顔写真、勤務先は表に出ていません。
子供は何人いますか
子供は3人です。公式サイトのプロフィール欄に、家族として愛妻・長女・長男・次女と並べて書かれています。
長男は2005年に小学校へ入学したと本人が国会で話しており、そこから1998年度生まれとみられます。長女と次女の年齢や職業は表に出ていません。
TRFのSAMとはどういう関係ですか
TRFのSAMさんとは1年違いのいとこ同士です。公式サイトのプロフィールに、幼稚園へ毎日一緒に行き、いまも良き相談相手として親交が深いと書かれています。
SAMさんの父は産婦人科医の丸山正義さんで、丸山記念総合病院の創設者のひとりでした。丸山家は明治から続く医師の家系です。
実家はどこにありますか
実家は、さいたま市岩槻区の丸山記念総合病院です。本人が公式サイトで、実家であるさいたま市岩槻区内の医療法人の医師として地域医療に従事してきたと書いています。
1896年の丸山醫院を出発点とする241床の総合病院で、土曜も日曜も外来を開けています。岩槻駅から徒歩10分の場所にあります。
まとめ|古川俊治の父や家族構成
当記事では、古川俊治さんの父や息子、妻、家族構成、家系図、経歴についてお伝えしました。
父は丸山記念総合病院の名誉院長だった古川俊隆さんで、2016年1月1日に88歳で亡くなっています。学術データベースには1958年から2009年までの論文40本が残り、1986年からは病院の医師たちとの連名が続いていました。
妻は循環器が専門の医師で、名前は公表されていません。子どもは長女・長男・次女の3人で、長男は2005年に小学校へ入学しています。
家系図でつながるのはTRFのSAMさんで、1年違いのいとこ。実家は岩槻で130年近く続く丸山記念総合病院です。開成高校から慶應義塾大学医学部へ進み、働きながら文学部と法学部も卒業して、医師・弁護士・参議院議員という経歴を重ねてきました。
本人の病気について伝えられたことはありません。家族のことをたどると、先端医療の人という顔の下に、父の代から続く町の医療があることが見えてきます。今後の活動にも注目したいですね。

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