横山夢樹の兄弟や父親・家族構成は?出身高校と中学も!

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横山夢樹の兄弟や父親・家族構成は?出身高校と中学も!

セレッソ大阪の横山夢樹(よこやま ゆめき)さん。加入1年目からドリブルで相手を抜き去り、日本代表の年代別チームでも点を取る20歳です。

地元の愛知・名古屋で9月15日から10月3日まで開かれた第20回アジア競技大会では、U-21日本代表の背番号11として23人のメンバーに入っていました。日本は決勝で韓国に0-1で敗れ、準優勝(銀メダル)で大会を終えています(日本サッカー協会の大会日程・結果ページより)。

そのプレーを見た人が次に調べるのが、家族のことです。兄も海外でプレーしているらしい、父親も元プロらしい——そんな話があちこちで出てくるからです。

横山夢樹さんの兄は2歳上の横山歩夢さんで、父親は元Jリーガーの横山博敏さん。名前が出ている家族は父・兄・本人の3人です。

この記事でわかること
  • 兄・横山歩夢さんが誰で、いまどこでプレーしているのか
  • 父親・横山博敏さんの現役時代と、いまの仕事
  • 出身高校の帝京高校と、中学・小学校のクラブ
質問

お兄さんもサッカー選手なんですよね?家族のことをまとめて知りたいです。

目次

横山夢樹の兄は2歳上の横山歩夢

横山夢樹の兄は2歳上の横山歩夢

横山夢樹さんの兄は、2歳上のプロサッカー選手・横山歩夢(よこやま あゆむ)さんです。ベルギーのクラブに在籍していて、弟と同じように攻撃の選手として点を取ってきました。

兄弟がそろってプロになっているのは、日本代表の年代別チームでも数えるほどしかありません。兄が先に道を作り、弟が2年遅れで同じ舞台に上がってきた形です。

兄の横山歩夢はベルギーのゲンクでプレー中

兄の横山歩夢さんは、ベルギーのKRCゲンクに所属するフォワードです。2003年3月4日生まれの23歳で、身長170センチ、利き足は右となっています。

日本では松本山雅FCでプロになり、サガン鳥栖を経て2024年8月にイングランドのバーミンガム・シティへ完全移籍しました。その後、ベルギーのゲンクへ期限付きで移り、リザーブチームのヨング・ゲンクで出番を重ねています。

年所属クラブリーグ戦の成績
2021〜2022年松本山雅FC45試合11得点
2023〜2024年8月サガン鳥栖41試合5得点
2024年8月〜バーミンガム・シティFC(イングランド)10試合0得点
2025年2月〜KRCゲンク/ヨング・ゲンク(ベルギー)21試合3得点

数字を並べると、松本山雅時代の1年で11点を取ったシーズンが飛び抜けています。この年の得点が海外へ出ていくきっかけになったと考えられます。

兄弟の年齢差は2歳6か月で進んだ道は違う

兄弟の年齢差は、生まれた日で数えると2歳6か月です。兄が2003年3月、弟が2005年9月の生まれなので、学年でいえば2つ違いにあたります。

小学校と中学校の年代は、二人とも東京・世田谷区のFCトッカーノで育ちました。分かれ道になったのは高校で、兄は東海大学高輪台高校、弟は帝京高校へ進んでいます。

項目兄・横山歩夢弟・横山夢樹
生年月日2003年3月4日2005年9月23日
ポジションFWMF
身長170cm172cm
小中学年代FCトッカーノU-12/U-15FCトッカーノU-12/U-15
高校東海大学高輪台高校帝京高校
プロ入り2021年・松本山雅FC2024年・FC今治
現在ベルギー(ゲンク)J1(セレッソ大阪)

二人に共通しているのは、Jクラブの下部組織を経ていないことです。街のクラブから高校サッカーへ進み、そこからプロに入るという同じ順番をたどっています。

2024年7月には兄弟そろって月間の賞を受けた

兄弟は2024年7月の月間ヤングプレーヤー賞を、J1とJ3で同時に受けています。兄がサガン鳥栖でJ1の、弟がFC今治でJ3の受賞者に選ばれました。

カテゴリーの違う2人が同じ月に選ばれるのは、Jリーグでも珍しい出来事です。当時はSNSで兄弟同時受賞を驚く声が並び、プレーの質まで似ているという書き込みも目立ちました。

弟はこの月から先発に定着し、8月も続けて同じ賞を受けています。兄を追いかけた結果ではなく、同じ月にたまたま重なったのが面白いところです。

妹がいるという話は出ていない

妹がいるという話は、本人からも所属クラブからも出ていません。名前が出ている兄弟は兄の歩夢さんひとりだけです。

この疑問が出てくるのは、女子サッカーに横山笑愛(よこやま えま)さんという選手がいるからだと考えられます。同じ名字で年齢も近く、名前の付け方も似ているため、家族ではないかと結びつけられやすいのです。

ただ、横山笑愛さんは山形県山形市の出身で、アルビレックス新潟レディースのディフェンダーです。横山夢樹さんは東京都世田谷区の生まれなので、育った土地もクラブもつながりません。

七瀬しおり

同じ名字の選手が近い年代にいると、家族だと思われやすいんですよね。

横山夢樹の父親は元Jリーガーの横山博敏

横山夢樹の父親は元Jリーガーの横山博敏

横山夢樹さんの父親は、元Jリーガーでサッカー指導者の横山博敏(よこやま ひろとし)さんです。1975年5月9日生まれで、鹿児島県姶良市の出身にあたります。

現役時代のポジションは、次男と同じミッドフィールダーでした。身長170センチ、利き足は右で、体の大きさで勝負するタイプではなかったところも似ています。

父の現役時代は市原と横浜FCが長かった

父の現役時代でいちばん長かったのは、横浜FCで過ごした5年間です。101試合に出て11得点を挙げ、チームのJリーグ入りにも関わりました。

鹿児島実業高校から大阪商業大学へ進み、1998年にジェフユナイテッド市原でプロ入り。その後は日本フットボールリーグの横浜FC、ヴァンフォーレ甲府、TDKサッカー部と渡り歩いています。

年クラブリーグ戦
1998〜1999年ジェフユナイテッド市原27試合0得点
2000〜2004年横浜FC101試合11得点
2004〜2005年ヴァンフォーレ甲府17試合1得点
2006〜2007年TDKサッカー部28試合5得点
通算173試合17得点

10試合に1点前後を取るミッドフィールダーだった計算になります。守るだけの選手ではなく、前に出て点に絡むタイプだったことが数字からも読み取れます。

鹿児島実業高校のサッカー部では、同学年に元日本代表の城彰二さんや遠藤彰弘さんがいました。全国区の同期に囲まれた高校時代を送っています。

引退後はブラウブリッツ秋田の初代監督に

引退後の父は、ブラウブリッツ秋田の初代監督を務めました。2007年に選手を辞めたあとTDKでコーチに就き、チームがクラブ化した2010年から2年間、指揮を執っています。

次男が「父が秋田の監督をやっていたので、試合を見に行った記憶があります」と振り返っているのが、ちょうどこの時期です。5歳前後で、プロの試合を客席から見ていたことになります。

サッカーを始めたきっかけも父でした。教わったのはトラップ、パス、ドリブルといった基礎ばかりだったと本人が話しています。

父はいまサッカー界を離れて会社の役員

父はいまサッカー界を離れ、物流会社の役員として働いています。2015年4月に鈴江コーポレーション株式会社へ入社し、そこから役職を上げてきました。

同社の役員一覧には、専務取締役執行役員として港湾運送事業本部管掌と管理本部長を兼ねると記されています(2026年9月15日時点)。監督を退いたあと、まったく別の業界で管理職になった形です。

2026年6月24日には、この会社に兄弟そろって顔を出しています。会社のお知らせには「両選手は弊社役員のご子息であり」と書かれていて、父と会社の関係がそのまま出てきます(鈴江コーポレーション ニュース)。

この1本があるおかげで、父がいまも同じ会社にいることと、兄弟が二人そろって父の職場へ行く間柄であることが同時に分かります。数字や肩書きより、こういう1行のほうが家族の距離感を伝えてくれると私は思っています。

横山夢樹の家族構成は分かっている範囲で4人

横山夢樹さんの家族構成は、名前が出ている範囲で父・母・兄・本人の4人です。このうち名前まで分かっているのは、父の博敏さんと兄の歩夢さんの2人になります。

母親については、名前も出身地も公表されていません。兄弟のインタビューにも会社のお知らせにも登場せず、表に出ない立場を通していることがうかがえます。

母親について語られているのは家庭の雰囲気まで

母親について語られているのは、家庭の雰囲気が伝わる話までです。名前や職業に触れた発言は、兄弟のどちらからも出ていません。

分かるのは、兄弟が同じ時期に同じクラブへ通い、父がサッカーの仕事で各地を移っていたということです。小学生2人を世田谷のクラブに通わせ続けるには、家庭側の支えが欠かせません。

選手本人が話していない部分を人物像として広げると、どうしても想像が混ざります。ここでは名前が出ている2人と、兄弟が育った環境の事実だけを並べます。

サッカー一家と呼ばれる理由は3人の経歴

サッカー一家と呼ばれる理由は、父・兄・本人の3人がそろってプロの世界にいることにあります。父が元Jリーガーで監督経験者、兄が海外組、本人がJ1の現役という並びです。

日本代表の年代別チームで選手を紹介するときにも、父と兄の名前がセットで書かれてきました。それだけ珍しい組み合わせだということです。

ただ、家族の経歴が本人の道を開いたわけではありません。兄弟のどちらもJクラブの下部組織には入れず、高校サッカーから自力でプロへ上がっています。

私が3人の経歴を並べていていちばん引っかかったのは、ここです。血筋で早くから注目されたのではなく、二人とも高校時代までは無名に近かった、という点です。

兄は中学時代に先発でなく、高校でも1年生のうちは控えでした。弟はJユースから声がかからず、高2で全国準優勝したときもベンチにいます。

父が監督までやった家庭でこの結果なら、家で教わったのは近道ではなく続け方のほうだったのだと思います。

横山夢樹の出身高校は東京の帝京高校

横山夢樹さんの出身高校は、東京の帝京高校です。2021年から2023年まで在籍し、3年生だった2023年4月にFC今治の特別指定選手として登録されました。

帝京高校は全国高校サッカー選手権で何度も優勝してきた古豪です。ただ、本人の3年間は順風満帆というより、出られない時期のほうが長い高校生活でした。

高校では試合に出られない時期が続いた

高校での3年間は、試合に出られない時期のほうが長いものでした。1年生からトップチームに入ったものの、公式戦での出番は限られていたと本人が振り返っています。

2年生のインターハイでは全国準優勝を経験しますが、本人はピッチに立てていません。同じ年の選手権予選も準決勝で敗れ、途中出場から途中交代という結果に終わりました。

本人は当時を「傍から見たらプロに行くような選手ではなかった」と言い切っています。この悔しさがきっかけで、朝練でも毎日ドリブルを続けるようになったそうです。

転機はFC今治の練習参加でボランチを任されたこと

転機になったのは、3年生になる直前のFC今治の練習参加でした。同級生に付き添う形で呼ばれた練習で、本職ではないボランチを任されたのがきっかけです。

大分トリニータとの練習試合でその位置に入り、良いプレーができたと本人が話しています。続くFCソウル戦でも先発し、キャンプ中にクラブ側が獲得の意思を伝えました。

2023年3月に加入が内定し、4月には特別指定選手として登録されます。入り口はドリブラーではなくボランチだったという、進路としては珍しい形です。

本人は「ボランチでプレーしたからこそボールを持ってドリブルできたのかも知れません」と振り返っています。守る位置に下がったことで、前を向いて仕掛ける回数が増えたという見方です。

横山夢樹の出身中学と小学校はFCトッカーノ

横山夢樹さんが中学と小学校の年代を過ごしたのは、東京・世田谷区のFCトッカーノです。U-12からU-15まで同じクラブに在籍し、兄と同じ道を歩いています。

所属クラブや日本サッカー協会が出している経歴も、FCトッカーノU-12からU-15、そして帝京高校という並びで統一されています。学校の部活ではなく、街のクラブで育った選手です。

通っていた中学校の名前は公表されていない

通っていた中学校の名前は、本人も所属クラブも公表していません。経歴として出ているのはFCトッカーノU-15というクラブ名までです。

手がかりになるのは兄のほうで、兄の経歴にはFCトッカーノU-12に和光小学校、U-15に和光中学校と添えられています。兄弟が同じクラブに通っていたことを考えると、生活圏は重なっていたと考えられます。

とはいえ、高校で別の学校を選んだ兄弟です。中学まで同じ学校だったと断定できる材料はないため、確かなのはクラブがFCトッカーノだったところまでになります。

中学時代は横浜FCの下部組織に上がれなかった

中学へ上がる前には、横浜FCの下部組織に上がれなかったという経験をしています。小学2年生のときに約100人が受けたセレクションに2人だけ合格し、スクールへ通っていた側の選手でした。

小学校の高学年になるとメンバーが増え、最後は同じ学年に12人ほど。その大半がジュニアユースへ進むなか、本人は残れなかったと話しています。

結果としてFCトッカーノU-15へ進み、そこでもJクラブからの誘いはありませんでした。中学3年のときの休校期間に一人で練習を続けたことが、高校での土台になったそうです。

横山夢樹の経歴はFC今治からセレッソ大阪へ

横山夢樹さんの経歴は、FC今治で2年プレーし、2026年からセレッソ大阪へ移ったという流れです。2025年12月26日に完全移籍が発表され、背番号14を付けています。

プロ入りからの歩みは、上がったり下がったりの連続でした。デビュー戦は途中出場から途中交代、その2試合後には初ゴールという振れ幅の大きい入り方です。

プロフィールと年ごとの成績

プロフィールと成績を並べると、カテゴリーが上がっても得点のペースが落ちていないことが分かります。J3、J2、J1とリーグが変わっても毎年点を取り続けています。

項目内容
名前横山 夢樹(よこやま ゆめき)
生年月日2005年9月22日または23日(後述)
出身地東京都世田谷区
身長/体重172cm/67kg
ポジションMF
利き足右
所属セレッソ大阪(背番号14)
経歴FCトッカーノU-12→U-15→帝京高校→FC今治→セレッソ大阪
年所属カテゴリーリーグ戦
2024年FC今治J329試合6得点
2025年FC今治J225試合6得点
2026年セレッソ大阪J1百年構想リーグ18試合4得点

3年を足すと72試合16得点になります。だいたい4.5試合に1点という計算で、サイドの選手としてはかなり高い割合です。

生年月日が公式の中でも1日ずれている

生年月日は、公式の紹介ページどうしで1日ずれています。セレッソ大阪が2005年9月22日、日本サッカー協会とFC今治が2005年9月23日としているためです。

身長と体重も同じように1cm・1kgの差があります。どちらが正しいというより、測った時期と登録のタイミングが違うのだと考えられます。

紹介しているところ生年月日身長/体重
セレッソ大阪2005年9月22日172cm/67kg
日本サッカー協会(U-20日本代表)2005年9月23日173cm/68kg
FC今治2005年9月23日173cm/68kg
ウィキペディア日本語版2005年9月23日172cm/67kg

数の多さでいえば9月23日が優勢です。ただ、いま所属しているクラブが9月22日と載せているので、誕生日を祝う日は2つあると考えておくのが安全です(セレッソ大阪 選手紹介)。

七瀬しおり

公式どうしで数字が違うときは、どちらかを消さずに両方そのまま並べています。

横山夢樹のポジションとプレースタイル

横山夢樹さんのポジションはMF(ミッドフィールダー)で、プレースタイルはドリブルで相手を抜き切るアタッカーです。セレッソ大阪では前線のサイドやシャドーの位置で使われています。

登録はMFですが、役割は攻撃側に寄っています。高校時代は2トップの一角、今治に入った当初はボランチと、立ち位置を何度も変えてきた選手です。

武器は低い重心から仕掛けるドリブル

武器は、低い重心から一気に加速するドリブルです。170センチ台前半という体格を生かして重心を落とし、相手の守備を滑るように抜き去るタイプだと評されています。

本人が手本にしてきたのはネイマール選手と三笘薫選手です。ネイマール選手からは重心の外し方を、三笘選手からは縦に抜き去る形をまねて練習していたと話しています。

プロに入ってからはスピードと瞬発力のトレーニングを始め、そこからキレが増したそうです。技術だけだった選手が、速さを足して縦に行けるようになったという流れになります。

香川真司から受けたのは考えてプレーするという助言

香川真司さんから受けたのは、常に考えてプレーしたほうがいいという助言です。セレッソ大阪で同じチームになり、ドリブルをどこで出すか、シュートをどう意識するかまで教わっています。

本人は「良い状態だったら何でもできるから、いかにその状態にもっていけるようにするか」という言葉が学びになったと話しています。仕掛ける技術ではなく、仕掛ける前の準備の話です。

17歳上の先輩と並んでプレーすることについては、「不思議な感覚」と表現しています。子どものころに見ていた選手と、同じユニフォームを着ているという立場です。

2026年5月には2試合連続で2得点を挙げ、香川さんからも高い評価を受けました。J1での初ゴールがその香川さんのアシストから生まれた点も、この関係を象徴しています。

横山夢樹の日本代表歴と移籍の話

横山夢樹さんは年代別の日本代表でU-18からU-23まで選ばれてきた選手で、移籍については欧州のクラブが関心を示していると報じられています。まだフル代表には呼ばれていません。

代表での歩みは、高校3年になる前のU-18代表候補から始まりました。そこから段階を上げ、2026年にはU-23日本代表としてアジアの大会を制しています。

U-20ワールドカップではチリ戦で得点

U-20ワールドカップでは、開催国チリとの試合で得点を挙げています。勝てば決勝トーナメント進出がほぼ決まるという場面で、途中から入って追加点を決めました。

本人は「信じられないぐらい嬉しかった」と振り返っています。完全アウェーの空気のなかでチームを勝たせたゴールでした。

この大会には、兄が出られなかったという背景もあります。前回大会でけがのため出場できなかった兄の思いを背負って立った舞台だと紹介されました。

年代表できごと
2023年U-18日本代表候補高校3年になる前に初選出
2024年U-19日本代表U-20アジア杯予選に参加
2025年U-20/U-22日本代表U-20ワールドカップでチリ戦得点
2026年U-23日本代表AFC U23アジアカップ優勝

2年で年代を3つ上がっている計算になります。高校時代に代表とは縁がなかった選手としては、かなり速い上がり方です。

欧州移籍はスカウトのリポートが出ている段階

欧州移籍は、スカウトのリポートが出ている段階です。クラブから正式な発表があったわけではなく、移籍先が決まったという話にもなっていません。

2026年8月には、イングランドのスカウトが「今後ベルギーでプレーする可能性もある」と評価したと伝えられました。低い重心とテクニック、加速力を挙げ、アジアの未開拓市場にいる逸材だという書き方です。

年明けの時点では、ドイツのフォルトゥナ・デュッセルドルフとベルギー1部のロイヤル・アントワープが候補として挙がったとも報じられていました。ベルギーの名前が続けて出てきているのが特徴です。

もしベルギーへ移れば、兄と同じ国のリーグでプレーすることになります。兄弟対決が現実に近づくという見方が出てくるのは、この重なりがあるからです。

横山夢樹の兄弟や家族についてよくある質問

横山夢樹の兄は誰ですか

兄は横山歩夢(よこやま あゆむ)さんです。2003年3月4日生まれのフォワードで、イングランドのバーミンガム・シティからベルギーのゲンクへ期限付きで移ってプレーしています。

横山夢樹に兄弟は何人いますか

横山夢樹さんの兄弟で名前が出ているのは、兄の歩夢さんひとりです。姉や妹がいるという話は、本人からも所属クラブからも出ていません。

横山夢樹の父親は誰ですか

父親は元Jリーガーの横山博敏(よこやま ひろとし)さんです。ジェフユナイテッド市原、横浜FC、ヴァンフォーレ甲府などでプレーし、引退後はブラウブリッツ秋田の初代監督を務めました。

横山夢樹の出身高校はどこですか

横山夢樹さんの出身高校は東京の帝京高校です。2021年から2023年まで在籍し、3年生だった2023年4月にFC今治の特別指定選手として登録されました。

横山夢樹の出身中学はどこですか

横山夢樹さんの出身中学は公表されておらず、中学年代はFCトッカーノU-15でプレーしていました。学校の名前は本人も所属クラブも出していません。

横山夢樹のポジションはどこですか

横山夢樹さんのポジションはMF(ミッドフィールダー)です。セレッソ大阪では背番号14を付け、サイドから仕掛けるアタッカーとして起用されています。

横山夢樹の兄弟や父親・家族構成のまとめ

横山夢樹さんの兄は2歳上の横山歩夢さん、父親は元Jリーガーの横山博敏さんです。

  • 兄はベルギーのゲンクでプレーするFW
  • 父は秋田の初代監督で、いまは物流会社の役員
  • 母親の名前や出身地は公表されていない
  • 高校は帝京、中学と小学校はFCトッカーノ
  • アジア大会は背番号11で準優勝メンバー

兄弟を追うと、二人とも遠回りをしてプロになったという共通点が目につきます。欧州で兄弟が対戦する日が来たら面白いと私は思っています。

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