2026年9月の愛知・名古屋アジア競技大会で、バレーボール女子日本代表として銀メダルを取った井上未唯奈(いのうえ みいな)さん。181センチの高さと、点が決まるたびに弾ける笑顔で一気に名前が広がりました。
名前が知られるにつれて、井上未唯奈さんの両親はどんな人なのかを知りたい人が増えています。出身の金蘭会高校より前の中学と小学校、身長体重も、よく一緒に調べられているキーワードです。
未唯奈という名前には、両親の願いが二つ重ねて込められていました。その由来を本人が語ったことで、家族のことが少しだけ表に出ています。
所属するSAGA久光スプリングスとJOCの公式ページ、そして本人が答えたインタビューにあたって、現在分かっていることをまとめました。
井上未唯奈さんの両親は、名前も職業も公表されていません。分かっているのは、未唯奈という名前に込めた二つの願いです。
- 未唯奈という名前の由来と、両親が込めた二つの願い
- 家族について公表されていること・されていないことの一覧
- 金蘭会高校・翔凜中学校・西の原小学校と、身長181センチの中身

ご家族の話はよく見かけるんですが、どこまでが本人の言葉なんでしょうか。
井上未唯奈の両親について分かっていること

井上未唯奈さんの両親について公表されているのは、未唯奈という名前に込めた願いだけです。名前も年齢も職業も、本人からも所属チームからも語られていません。
そのぶん、名前の由来については本人が二つに分けて話しています。ピンク・レディーから取ったという話と、未来へ向かって唯一の人に、という話の二つです。
母親については、本人が公式の質問に答える形で一度だけふれています。尊敬する人にママんという呼び方を挙げているのが、それにあたります。
名前の由来はピンク・レディーの未唯mie
未唯奈という名前は、ピンク・レディーの未唯mieさんから取られたものです。本人が西日本スポーツの取材で、そう聞いていると話しています。
本人の言葉は「愛らしくなってほしかったと聞きました」というものでした。名づけたのは両親で、由来を本人に伝えていたことになります。
ピンク・レディーは1970年代後半に大ブームを起こした2人組で、未唯mieさんはそのミーの方です。本人はリアルタイムでは知らない世代ですが、由来は楽しそうに明かしています。
名づけの時点で両親が思い描いたのは、背の高いアタッカーではなく愛らしさの方だったということです。181センチのミドルブロッカーに育った現在とのギャップが、この由来のおもしろいところだと思います。
未来へ向かって唯一の人にという願い
未唯奈という名前には、未来へ向かって唯一の人にという願いも込められています。本人が名前の由来を語ったとき、ピンク・レディーの話に続けて明かしたものです。
未来の未、唯一の唯、そして奈。三つの字を分けて読むと、願いがそのまま名前になっていることが分かります。
愛らしくなってほしいという願いと、唯一の人になってほしいという願い。方向の違う二つを重ねたところに、両親が名前にかけた時間が見えます。
本人はいま、女子日本代表で背番号23を背負っています。唯一の人に、という願いのほうは、名づけた側の想像よりも早く形になりました。
尊敬する人にママんを挙げている
母親について本人が語っているのは、尊敬する人はママんという一言です。SAGA久光スプリングスの公式サイトにある選手インタビューの回答にあります。
同じインタビューで、宝物にはファミリーと答えています。母親の名前や職業にはふれていませんが、呼び方から距離の近さは伝わってきます。
ママんという呼び方は、家の中でそのまま使っている言い方だと考えられます。取材向けに整えた言葉ではないぶん、素の関係が出ているところです。
父親と母親の名前や職業は出ていない
父親と母親の名前も職業も公表されていません。所属チームの公式プロフィールにも、JOCのアスリートページにも、家族の欄そのものが置かれていません。
取材の中で家族が登場するのは、名前の由来のときと、祖母を亡くしたときの2回だけです。どちらも本人が語ったもので、両親が直接コメントを出した記事はありません。
一般の人としての立場がそのまま守られている形だと考えられます。名前や勤務先が書かれているものを見かけたときは、それが誰の発言として出ているのかを確かめてみてください。
家族について公表されていることの一覧
家族について何が出ていて何が出ていないのかを、1枚にまとめました。出どころは本人のインタビューと、所属チームの公式プロフィールです。
| 家族 | 公表されていること | 公表されていないこと |
|---|---|---|
| 父親 | 名前の由来を本人に伝えていること | 名前・年齢・職業 |
| 母親 | 本人が尊敬する人に挙げている(ママん) | 名前・年齢・職業 |
| 姉 | 2人いること/1人はカナダにいること/バレーを始めるきっかけになったこと | 名前・年齢・競技歴 |
| 祖母 | 民子という名前/たあちゃんと呼んでいたこと/2026年5月に亡くなったこと | 年齢・住まい |
| 家族全体 | 幼い頃からそろってJリーグを観戦していたこと | 住まい・家族写真 |
名前が出ているのは祖母だけです。両親と姉については、関係と役割だけが語られていて、個人を特定できる情報は出ていません。
井上未唯奈の両親はハーフやクォーターなのか

井上未唯奈さんの両親が外国出身だという発表はありません。本人の国籍は日本と公表されています。
ハーフやクォーターという話は、体格と名前の印象から出てきたものです。裏づけになる発言や記録は、公式のプロフィールにも取材記事にも見当たりません。
出どころになりやすいものは三つあり、どれも体格と名前の表記に関わるものです。日本代表として登録されていることとあわせて見ていきます。
国籍は日本と公表されている
国籍は日本です。2026年のアジア競技大会に日本代表として登録されていることからも確かめられます。
年代別の代表でも、U20アジア選手権とU21世界選手権に日本代表として出場しています。10代の頃から日本の代表として国際大会に出続けてきました。
ハーフやクォーターという言い方は、国籍ではなく親や祖父母のルーツを指す言葉です。そちらについても、本人や家族が語ったことはありません。
噂の出どころになっている3つのこと
話の出どころになりやすいのは、身長・名前の響き・ローマ字表記の三つです。それぞれ本人の側にある事実ですが、ルーツとは関係がありません。
- 181センチという高さと、手足の長さが目立つこと
- 未唯奈(みいな)という響きが、日本語の名前として珍しいこと
- 本人がSNSでMIENAというローマ字表記を使っていること
三つ目は意外と知られていない点です。所属チームの公式表記はINOUE Miinaですが、本人のInstagramとXのアカウント名はmienaになっています。
ミイナとミエナで表記が二通りあると、名前の出どころが日本語ではないように見えます。由来がピンク・レディーだと分かれば、この印象は消えるはずです。
見た目だけでルーツを決められない理由
見た目や名前からルーツを決めることはできません。本人は高校時代まで、線が細く見えることからパワー不足を指摘されることがあったと話しています。
日本人離れした身体能力という言い方で説明されがちですが、実際に伸びているのは後から積み上げた部分です。最高到達点は、プロに入ってからのジャンプトレーニングで1年に4センチ伸びています。
私は、この話はルーツではなく取り組みの話として読むほうが筋が通ると思っています。高校で306センチだった数字が310センチまで届いた経緯が、本人の言葉として残っているからです。

名前の由来が分かると、ハーフに見えていた部分がきれいに説明できてしまいますね。
井上未唯奈の家族構成は2人の姉と祖母
公表されている家族は、両親と2人の姉、そして祖母です。姉が2人いることから、3人姉妹の末っ子にあたると考えられます。
姉のことは、所属チームの公式インタビューで本人が答えています。自慢を聞かれて、イケてる2人の姉、と書いているところです。
バレーボールを始めたきっかけも姉でした。祖母のことは、2026年6月に出た長いインタビューで本人が語っています。
バレーを始めたきっかけは姉の影響
バレーボールを始めたきっかけは姉の影響です。所属チームの公式インタビューで、始めたきっかけを聞かれてそう答えています。
始めたのは小学3年生のときで、地元のクラブチームである印旛ヴィクトリーに入りました。姉が先にやっていた競技を、あとから追いかけた形です。
姉の影響で始めた子が、10年ほどで日本代表になりました。最初のきっかけが家の中にあったことは、この家族の距離を考えるうえで分かりやすい材料です。
2人の姉がいて1人はカナダにいる
姉は2人で、そのうち1人はカナダにいます。10日間の休みがあったら何をするかという質問に、カナダにいる姉に会いに行く家族旅行を挙げています。
同じ質問集の中で、旅行で行きたい国にもカナダを挙げています。姉がいる場所が、そのまま行きたい場所になっているということです。
姉の名前も年齢も出ていません。競技をしているのかどうかも語られていませんが、自慢として姉のことを挙げているので、いまも近い関係が続いていると考えられます。
日本代表初選出の直後に祖母を亡くした
祖母の民子さんは、2026年5月に急に亡くなりました。女子日本代表の始動会見が行われた直後のことです。
本人は民子さんをたあちゃんと呼んでいました。代表に選ばれたときは夢みたい、と喜んでくれたと振り返っています。
民子さんは5月18日と21日の代表紅白戦も見に来る予定でした。本人は悲しみをこらえてコートに立ち、その紅白戦でプレーしています。
たあちゃんが見に来てくれた試合は全部勝っていた、とも話しています。SAGA久光スプリングスが日本一になった試合も、横浜の会場で見届けていました。
井上未唯奈は金蘭会高校出身
出身高校は大阪の金蘭会高校です。千葉県から大阪へ移り、寮に入って3年間を過ごしました。
金蘭会高校は全国高校総体と春の高校バレーの常連で、女子バレーボールの強豪として知られています。現在のポジションであるミドルブロッカーへの転向も、この高校で決まりました。
高校3年間の成績は、1年で春の高校バレー3位、2年で全国高校総体優勝、3年で国体準優勝です。全国の表彰台に3回上がって高校生活を終えています。
金蘭会高校でミドルブロッカーに転向した
ポジションが変わったのは金蘭会高校に入ってからです。中学まではエースアタッカーで、入学後にミドルブロッカーへコンバートされました。
高校3年の12月には、天皇杯・皇后杯の1回戦でアウトサイドヒッターとして先発した試合もあります。当時の池条義則監督のもとで、複数のポジションを任される立場になっていました。
現在の二刀流と呼ばれるスタイルは、この時期の経験から来ています。SAGA久光スプリングスでも、ミドルブロッカーとアウトサイドヒッターの両方に登録されています。
2年でインターハイ優勝しベスト6に選ばれた
高校2年の全国高校総体で優勝しています。この大会で本人はベスト6と優秀選手に選ばれました。
1年時の春の高校バレーでは、準決勝で岡山の就実高校に敗れて3位でした。このときの相手には、のちにチームメートになる深澤めぐみさんがいます。
3年時は国体準優勝が最高で、春の高校バレーはベスト8でした。プロ1年目の夏には母校の全国高校総体の初戦に足を運び、スタンドから後輩に声援を送っています。
寮生活をやっていてよかったことに挙げている
高校時代の寮生活を、本人は学生時代にやっていてよかったことに挙げています。所属チームの公式インタビューの回答です。
千葉県から大阪の高校へ進むということは、15歳で親元を離れるということでもあります。それを後からよかったと言えるところに、この選手の受け止め方が出ています。
寮生活で身についたものは、プロに入ってからの生活にもつながっていると考えられます。遠征やリーグ戦で家を空ける時間が長い競技だからです。
井上未唯奈の中学と小学校はどこか
中学は千葉県君津市の翔凜中学校、小学校は印西市立西の原小学校です。どちらも公式プロフィールと取材記事に記載があります。
出身地は千葉県印西市で、バレーボールを始めたのも地元のクラブチームでした。中学から高校にかけて、活動の場が千葉県内、そして大阪へと広がっています。
中学時代は千葉県の代表に選ばれ、小学校時代はクラブチームでの3年間でした。始めてから日本代表までの歩みも、この章の最後に年の順で並べています。
中学は千葉県君津市の翔凜中学校
中学は翔凜中学校です。千葉県君津市にある中高一貫の私立校で、印西市からはかなり離れた場所にあります。
在籍したのは2018年から2021年までです。この3年のうち最後の1年は、新型コロナの影響でほとんどの試合が中止になりました。
全国大会の経験を積めたのは実質2年間だったことになります。それでもこの間に、千葉県の代表に選ばれるところまで到達しました。
中学2年で千葉県選抜のエースに選ばれた
中学2年のときに千葉県選抜のエースとして全国都道府県対抗中学大会に出場しています。同じ年に全日本中学生選抜にも選ばれました。
当時のポジションはアタッカーで、いまのミドルブロッカーではありません。得点力と勝負強さで評価されていた時期です。
高校でポジションが変わったあとも、ライト側からの攻撃は武器として残っています。中学時代のエース経験が、形を変えて生きている部分です。
小学校は印西市立西の原小学校
小学校は印西市立西の原小学校です。バレーボールを始めたのは3年生のときで、地元のクラブチームの印旛ヴィクトリーに入りました。
印西市は千葉県の北西部にある市です。本人は地元のおすすめスポットに、市内の商業施設であるBIG HOPを挙げています。
小学3年から数えると、2026年で競技歴は12年ほどになります。始めた場所が家から通えるクラブチームだったことは、姉の影響という入り口とつながっています。
バレーボールを始めてからの歩み
始めてから日本代表までの道のりを、年の順に並べました。公式プロフィールと取材記事に出ている出来事だけを拾っています。
| 時期 | できごと | 場所・チーム |
|---|---|---|
| 小学3年 | 印旛ヴィクトリーでバレーボールを始める | 千葉県印西市 |
| 2018年〜2021年 | 翔凜中学校。2年時に千葉県選抜で全国都道府県対抗中学大会へ | 千葉県君津市 |
| 2021年 | 金蘭会高校へ進学し、ミドルブロッカーへ転向 | 大阪 |
| 2022年1月 | 春の高校バレーで3位 | 東京 |
| 2022年8月 | 全国高校総体で優勝。ベスト6と優秀選手 | 四国 |
| 2023年12月 | 久光スプリングスへの入団内定が発表される | 佐賀 |
| 2024年3月 | Vカップでデビュー | SAGA久光スプリングス |
| 2024年7月 | U20アジア選手権で銀メダル | 中国・江門 |
| 2025年3月9日 | SVリーグデビュー。16打数9得点で決定率56.2% | SAGAアリーナ |
| 2025年8月 | U21世界選手権で銀メダル | U21日本代表 |
| 2026年5月 | 女子日本代表に初選出 | 女子日本代表 |
| 2026年9月 | アジア競技大会で銀メダル(決勝で中国に0対3) | 愛知・名古屋 |
小学3年から日本代表まで、間に空白の期間がありません。中学3年のコロナ禍だけが、試合という形で表に出なかった時間です。
井上未唯奈の身長と体重
身長は181センチで、体重は非公表です。所属チームの公式プロフィールにも、JOCのページにも体重の欄そのものが置かれていません。
身長については181センチと180センチの二通りの表記があります。最高到達点は310センチ、ブロックジャンプ到達点は280センチです。
どの数字がどこに載っているのかを、公式と準公式の4か所で照らし合わせました。数字を探すときに、どのページを見ればよいのかが分かります。
身長の表記が181センチと180センチに分かれている
身長は181センチと書かれていることが多く、180センチという表記もあります。SAGA久光スプリングスの公式プロフィールは181センチ、月刊バレーボールの女子日本代表プロフィールは180センチです。
1センチの差は、測定の時期や端数の扱いによるものと考えられます。どちらの数字でも、女子バレーボールでは高さのある部類に入ります。
実際のプレーで効いているのは、身長の数字よりも手足の長さのほうです。入団当時の監督も、打点の高さはチーム内でもトップクラスだと評価していました。
体重が載っている公式ページは1つもない
体重が載っている公式ページは1つもありません。2026年9月19日時点で、公式と準公式の4か所のどこにも体重の欄そのものが置かれていません。
| 載っているところ | 身長 | 体重 | 血液型 | 最高到達点 | 出身校 |
|---|---|---|---|---|---|
| SAGA久光スプリングス公式の選手ページ | 181cm | 記載なし | A型 | 記載なし | 金蘭会高校 |
| JOCのアスリートページ | 記載なし | 記載なし | 記載なし | 記載なし | 金蘭会高等学校 |
| JOC愛知・名古屋アジア大会の選手ページ | 記載なし | 記載なし | 記載なし | 記載なし | 記載なし |
| 月刊バレーボールの女子日本代表プロフィール | 180cm | 記載なし | 記載なし | 310cm | 金蘭会高 |
4か所を並べると、そろっている項目のほうが少ないことが分かります。血液型があるのは所属チームのページだけ、最高到達点があるのは月刊バレーボールだけです。詳しい項目はSAGA久光スプリングス公式の選手ページで確かめられます。
私は、体重を探すより最高到達点を見たほうが早いと思っています。体重は非公表のまま更新されない可能性が高いのに対して、最高到達点はシーズンごとに測り直されて数字が出てくるからです。
体重の数字を見かけたときは、どの公式ページに載っていたのかを確かめてみてください。4か所のどれにも無い数字は、推定で書かれたものだと考えられます。
最高到達点は310センチで1年に4センチ伸びた
最高到達点は310センチです。高校時代は306センチで、プロに入ってからもしばらく同じ数字が続いていました。
本人はこの1年で4センチ伸びたと話しています。シーズンを通して取り組んだジャンプトレーニングの成果だと語っていました。
ブロックジャンプ到達点は280センチです。攻撃とブロックの両方で、高さがそのまま持ち味になっています。
井上未唯奈の代表歴と2026年の現在
女子日本代表に初めて選ばれたのは2026年5月です。2026年9月のアジア競技大会にも日本代表として出場し、決勝で中国に敗れて銀メダルでした。
それまでは年代別の日本代表で経験を積んできました。U20アジア選手権とU21世界選手権で、いずれも銀メダルを取っています。年代別と合わせると、銀メダルは3つ目になりました。
代表での背番号は23です。所属のSAGA久光スプリングスでは19番をつけています。
2026年5月に女子日本代表へ初選出された
シニアの女子日本代表に初めて選ばれたのは2026年5月です。始動会見が行われたのは5月11日でした。
本人は最初は信じられなかったと振り返っています。本当に私ですか、と聞き返したほどだったそうです。
SAGA久光スプリングスの中田久美監督からは、こっからだよ、と声をかけられたと話しています。喜びと同時に気持ちが引き締まった場面でした。
U20アジア選手権とU21世界選手権で銀メダル
年代別の日本代表では銀メダルを二つ取っています。2024年のU20アジア選手権と、2025年のU21世界選手権です。
U20アジア選手権は中国の江門で行われ、決勝で中国に敗れました。本人は完全アウェーの雰囲気だったと振り返っています。
U21世界選手権の決勝はイタリア戦でした。この試合を、本人はバレー人生でいちばん思い出に残っている試合に挙げています。
アジア競技大会は中国に敗れて銀メダル
愛知・名古屋アジア競技大会では、日本女子が銀メダルでした。9月22日の決勝で中国に0対3で敗れ、セットスコアは19対25、20対25、23対25です。
準決勝の韓国戦では、第2セットで1対4と先行される場面もありましたが、終盤に和田由紀子選手と秋本美空選手が連続で決めて振り切っています。
グループステージは9月16日のネパール戦を3対0、18日のインドネシア戦を3対1で勝ち、2連勝でA組1位通過でした。本人はインドネシア戦の日に、チームを勢いづけるプレーを意識していると話しています。
決勝までの勝ち上がりは、A組を首位で通過したあと、9月20日の準々決勝でチャイニーズタイペイを3対0、9月21日の準決勝で韓国を3対0でした。準々決勝は25対12、25対16、25対19、準決勝の韓国戦は25対20、25対22、25対16です。
決勝の相手は世界ランキング7位の中国でした。日本女子の優勝なら48年ぶりでしたが、3セットとも先行される展開で届いていません。第3セットは23点まで詰めています(2026年9月23日時点)。
試合結果とセットスコアは日本バレーボール協会の大会結果ページで確かめられます。日程と出場選手はJOCの愛知・名古屋アジア大会の選手ページにも載っています。
目標はその先にあります。2028年のロサンゼルス五輪出場を、祖母への誓いとして口にしています。
井上未唯奈がかわいいと話題の素顔とサッカー好き
かわいいと言われているのは、コート上の表情とオフの明るさです。シーズン開幕前に髪をばっさり切ったことも話題になりました。
素顔の方向はもう一つあります。子どもの頃の夢はサッカー選手で、いまもサガン鳥栖と鹿島アントラーズを応援しています。
家族でスタジアムに通っていた時間が、そのまま性格と座右の銘につながっています。両親のことが分かる材料としては、ここがいちばん具体的です。
髪をばっさり切ったことが話題になった
シーズン開幕の1か月ほど前に髪を短くしました。イメージチェンジが報じられ、めっちゃかわいいという反応が並んでいます。
チームの公式アカウントも、最近髪の毛をバッサリ切りました、と紹介しました。同じ投稿で、アジア競技大会に日本代表として参加することも伝えています。
そこでの紹介のされ方は、アリーナだけでなくスタジアムでも会える選手というものでした。サッカー好きが、チームの側から見ても持ち味になっているということです。
子どもの頃の夢はサッカー選手だった
子どもの頃の夢はサッカー選手でした。所属チームの公式インタビューで、本人がそう答えています。
幼い頃から家族そろってJリーグを観戦していたことが背景にあります。バレーボールより先に、サッカーが家の中にあったということです。
バレー選手になっていなかったら何をしていたか、という質問にはビーチバレーボール選手と答えています。夢はサッカーでも、競技としてはバレーボールから離れないところが本人らしい部分です。
サガン鳥栖と鹿島アントラーズを応援している
応援しているクラブはサガン鳥栖と鹿島アントラーズです。鳥栖については箱推しだと公言しています。
2025年8月には、鳥栖の試合でキックインセレモニーを務めました。本人は最近した推し活として、この日のことを挙げています。
人生のヒーローに挙げているのは、鹿島アントラーズで長く活躍した小笠原満男さんです。1日だけ入れ替わりたい有名人には、鹿島の鈴木優磨選手を挙げています。
座右の銘はジーコ・スピリットから来ている
座右の銘の誠実・献身・尊重は、鹿島アントラーズのジーコ・スピリットから来ています。サインの横に好きな言葉を書いてほしいと頼まれて、この三つを書いたそうです。
本人はそのとき、ジーコ・スピリットをたたき込まれて育った、と真顔で話しています。家族でスタジアムに通った時間が、競技の外の言葉として残っているということです。
ご両親の名前や職業は表に出ていませんが、何を大事にして育てたのかは、この三つの言葉から見えてきます。名前に込めた願いと並べると、家の中の空気がだいたい想像できるところです。

ご両親の名前は出ていませんが、名前の由来と座右の銘だけで十分に伝わってきますね。
井上未唯奈についてよくある質問
父親と母親の職業は分かっていますか
父親と母親の職業は、どこにも出ていません。名前も年齢も表に出ておらず、所属チームの公式プロフィールにもJOCのページにも家族の欄そのものが置かれていません。
家族に外国出身の人はいますか
家族に外国出身の人がいるという発表は出ていません。本人の国籍は日本で、ハーフやクォーターという話は身長と名前の印象から出てきたものです。
兄弟や姉妹はいますか
兄弟や姉妹は、姉が2人です。所属チームの公式インタビューで、自慢としてイケてる2人の姉を挙げており、そのうち1人はカナダにいます。
けがで長く離脱したことはありますか
けがで長く離脱したという発表は出ていません。高校時代までは線が細くパワー不足を指摘されることがあったと本人が話していますが、プロ入り後はジャンプトレーニングで最高到達点を1年に4センチ伸ばしています。
本山というキーワードは何ですか
本山という名字の人物と結びつける発表や報道は出ていません。いちばん近いところにあるのはサッカーの話で、本人は鹿島アントラーズのファンとして小笠原満男さんを人生のヒーローに挙げています。
出身はどこですか
出身は千葉県印西市です。印西市立西の原小学校の3年生からバレーボールを始め、中学は君津市の翔凜中学校、高校は大阪の金蘭会高校へ進みました。
身長と体重は何センチですか
身長は181センチで、体重は4か所の公式ページのどこにも載っていません。最高到達点は310センチ、ブロックジャンプ到達点は280センチです。
彼氏や結婚の発表はありますか
彼氏や結婚の発表は出ていません。所属チームの公式プロフィールにも、日本代表としての発表にも、交際や結婚にふれた記載はありません。
背番号は何番ですか
所属のSAGA久光スプリングスでは19番、女子日本代表では23番です。ポジションはミドルブロッカーとアウトサイドヒッターの両方に登録されています。
まとめ:井上未唯奈の両親と学歴について
井上未唯奈さんの両親や家族、金蘭会高校から小学校までの歩みで分かっていることです。
- 両親の名前・年齢・職業は公表されていない
- 未唯奈は未唯mieが由来で、願いは二つ
- 母親のことは、ママんの一言だけ
- ハーフ説に裏づけは無く、国籍は日本
- 姉は2人、祖母は2026年5月に急逝
- 金蘭会高校でミドルブロッカーへ転向
- 中学は翔凜、小学校は西の原小学校
- 身長181センチ、体重は非公表
- アジア競技大会は中国に敗れ銀メダル
両親が名前に込めたのは、愛らしさと、唯一の人になってほしいという二つの願いでした。その両方が同時に叶っているような選手だと思います。銀メダルのその先、2028年のロサンゼルス五輪での姿も楽しみですね。

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