2026年9月20日、愛知・名古屋アジア競技大会のトライアスロン男子で優勝し、日本勢の金メダル第1号になった北條巧(ほうじょう たくみ)さん。真っ赤に染めた髪でゴールへ飛び込む姿が、一気に広がりました。
名前が知られるにつれて増えているのが、北條巧さんの結婚相手はどんな人なのかという調べものです。子供はいるのか、年齢はいくつなのか、なぜ佐賀に住んでいるのかも、よく一緒に調べられているキーワードです。
結婚については、本人がはっきり報告しています。ただ、相手がどんな人なのかは、そこからほとんど広がっていません。
本人の投稿と、日本トライアスロン連合やJOCの選手ページ、そして新聞の取材記事にあたって、分かっていることを1本にまとめました。
北條巧さんは2024年1月27日に入籍していて、相手の名前や職業は公表されていません。子供についての発表も、2026年9月20日の時点では出ていません。
- 入籍の日付と、本人が出した報告の中身
- 結婚相手について公表されていることと、されていないこと
- 公式プロフィール5か所に家族の欄があるかどうかの照合結果
- 妻について新聞の取材で一度だけ語られた一行
- 子供という検索候補が並ぶ理由
- 年齢30歳と、身長172センチ・体重62キロのプロフィール
- 佐賀へ移住した理由と、移住してから縮まったタイム
- 入籍と佐賀移住が同じ月に重なっていること
- 競泳からトライアスロンへ転向した経緯と主な戦績
- 東京とパリの五輪を逃してから、アジア大会で金メダルを取るまで
- バナナマンのせっかくグルメに出た回の放送日と紹介した店

結婚しているのは分かったんですが、お相手のことはどこまで出ているんでしょうか。
北條巧の結婚相手は誰なのか

北條巧さんの結婚相手は、名前も職業も公表されていない一般の方とみられます。分かっているのは、2024年1月27日に入籍したという事実だけです。
入籍を伝えたのは本人でした。競技団体からの発表ではなく、自分のインスタグラムに報告文を出す形を取っています。
その後、相手について本人が語ったことも、報道で名前が出たこともありません。妻がいるという事実だけが、取材の中で一行ふれられています。
入籍は2024年1月27日で報告は本人のインスタグラム
入籍したのは2024年1月27日で、報告はその日のうちに本人のインスタグラムへ投稿されました。アカウントは hojotakumix で、投稿の冒頭は「ご報告」から始まっています。
本文は「本日1/27、入籍しました」「2024年、競技も私生活も充実させていきます!!」という短いものでした。続けて英語で「We got married.」とも書いています。
投稿の最後には、相手のアカウントがタグ付けされています。名前や年齢、職業を書いた部分は、この報告のどこにもありません。
報告の実物は本人のアカウントに残っています(北條巧さんの入籍報告の投稿)。競技の節目ではなく私生活の報告をこの形で出したのは、この1件だけです。
結婚相手の名前や職業は公表されていない
結婚相手の名前・年齢・職業は、本人の口からも報道からも出たことがありません。入籍の報告にも、その後のインタビューにも登場しません。
タグ付けされているアカウントも、競技や芸能の活動と結びつく表示にはなっていません。ここから職業をたどれる材料は出てきません。
同じ競技の選手同士なら、大会の記録や所属で相手が分かることがあります。北條巧さんの場合はその手がかりが無く、一般の方と考えられます。
本人がタグ付けまでにとどめているということは、そこから先は出さないという線を引いているということでもあります。名前を探すよりも、その線を尊重するほうが自然だと私は思っています。
公式プロフィール5か所に家族の欄そのものが無い
結婚相手が出てこないのは、選手プロフィールに家族の欄そのものが置かれていないからです。プロフィールが載っている5か所を2026年9月20日に確認したところ、配偶者や家族の項目はどこにもありませんでした。
載っている項目にもばらつきがあります。身長と体重が書かれているのはウィキペディアだけで、競技団体のページは戦績が中心です。
| 掲載先 | 生年月日 | 身長・体重 | 所属 | 配偶者・家族の欄 |
|---|---|---|---|---|
| 日本トライアスロン連合 選手ページ | あり | なし | あり | 項目なし |
| JOC アスリートページ | あり | なし | あり | 項目なし |
| CHRIO 選手ページ | あり | なし | あり | 項目なし |
| インターテック アンバサダー | なし | なし | なし | 項目なし |
| ウィキペディア | あり | 172cm・62kg | あり | 項目なし |
競技団体のページは日本トライアスロン連合の選手ページで見られます。生年月日・出身校・所属・登録地・戦績が並ぶ構成で、家族について書く欄がありません。
つまり「相手が伏せられている」というより、そもそも書く場所が用意されていないという状態です。今後どこかの欄に追加される見込みも、いまのところありません。
妻はパリ五輪のトライアスロンを一切見なかった
妻について表に出ている話は、パリ五輪のトライアスロンを一切見なかったという一行だけです。東京新聞が2025年10月22日に出した記事の中に出てきます。
北條巧さんはパリ五輪の代表争いに敗れ、出場できませんでした。その記事では、本人以上に周りが悔しがっていたという流れで、妻の反応が書かれています。
メダルだけでなく、五輪に出ること自体に周囲が大きな価値を置いていた。その象徴として置かれているのが、この一行です。
入籍が2024年1月、パリ五輪が同じ年の夏ですから、結婚して半年ほどの出来事でした。妻の側から見れば、いちばん応援したかった舞台を見られなかったことになります。

相手の情報が出ていないのは、隠しているというより、書く欄が最初から無いからなんですね。
北條巧に子供はいるのか

北條巧さんに子供がいるという発表は出ていません。本人からの報告も、競技団体からのお知らせも、報道もありません。
入籍の報告は自分から出している人なので、子供についても同じように出す可能性はあります。いまのところ、その投稿はありません。
それでも子供というキーワードが並ぶのには、いくつか理由が考えられます。順番に見ていきます。
子供がいるという発表は出ていない
子供については、本人からも所属先からも発表がありません。インスタグラムで私生活にふれた投稿は、2024年1月の入籍報告が最後です。
選手プロフィールの5か所にも家族の欄が無いので、そちらから分かることもありません。子供の有無を確かめられる場所が、そもそも用意されていない形です。
大会の取材でも、子供の話が出たことはありません。妻については東京新聞が一度ふれていますが、そこにも子供は登場しません。
ですので現在分かっている情報としては、結婚はしている・子供の発表は無いというところまでになります。
子供というキーワードが並ぶ理由
子供というキーワードが並ぶのは、入籍から2年半以上たっているからだと考えられます。結婚の報告だけがあって、その後の話が一切出てこない状態が続いています。
もう一つは、年齢です。1996年生まれの30歳という年齢は、家族の話題が出やすい世代にあたります。
三つ目は、競技の事情です。トライアスロンは年間を通して海外を転戦する競技で、家族と過ごす時間の取り方が気になる人もいます。
どれも「発表が無いから想像されている」という形で、裏づけのある話ではありません。確かなことが出るとすれば本人の投稿からになると思います。
北條巧の年齢は30歳で生年月日は1996年4月7日
北條巧さんの年齢は30歳で、生年月日は1996年4月7日です。日本トライアスロン連合とJOCの選手ページに、同じ日付が載っています。
アジア大会で金メダルを取った2026年9月の時期は、誕生日を過ぎているので30歳です。前年の記事では29歳と書かれていました。
体格や学歴など、ほかのプロフィールも合わせて見ていきます。
身長172センチで体重は62キロ
身長は172センチ、体重は62キロです。この数字が載っているのはウィキペディアだけで、競技団体の選手ページには体格の欄がありません。
トライアスロンの男子選手としては、標準的な体格にあたります。泳いで自転車に乗って走るという競技の性質上、極端に大きい選手は多くありません。
本人が自分の特徴として挙げているのは、体格ではなく泳ぎです。スイムで先頭に上がることが最大の武器だと語っています。
出身は埼玉県北本市で高校は熊谷高校
出身は埼玉県北本市で、北本市立北本中学校から埼玉県立熊谷高等学校へ進んでいます。大学は日本体育大学です。
熊谷高校は県立の進学校で、トライアスロンの強豪校ではありません。高校時代は水泳部で競泳を続けていました。
地元の北本市とのつながりはいまも残っていて、入籍を報告したときには、通っていたスイミングスクールが祝福の投稿を出しています。
所属はNTT東日本・NTT西日本で登録地は佐賀
所属はNTT東日本・NTT西日本で、競技の登録地は佐賀です。出身の埼玉県ではなく佐賀県で登録している点が、ほかの選手と違うところです。
NTT西日本はトライアスロンのスポンサー活動を続けていて、日本選手権の冠にも社名が入っています。北條巧さんはその看板選手にあたります。
選手ページには博慈会という名前が併記されている時期もありました。所属先が複数書かれるのは、この競技では珍しくありません。
北條巧が佐賀に移住した理由
北條巧さんが佐賀に移住した理由は、五輪を目指すには練習環境が最適だったからです。プールと競技場と自転車のコースが近い距離にそろっている点を、本人が決め手に挙げています。
移った時期は2024年1月で、拠点は佐賀市です。埼玉県出身の選手が九州へ移るという、思い切った決断でした。
この移住には、きっかけになった人がいます。その経緯と、移ってから出た成果を見ていきます。
移住は2024年1月で拠点は佐賀市
佐賀市に移り住んだのは2024年1月です。佐賀新聞の取材に、そのいきさつを本人が答えています。
それまでの拠点は、大学から続く関東でした。所属も NTT東日本・NTT西日本のまま変わっていません。
移住にともなって、競技の登録地も佐賀に変えています。日本トライアスロン連合の選手ページで、登録地が佐賀になっているのはそのためです。
決め手はプールと競技場とバイクコースの近さ
決め手になったのは、プールと競技場と自転車のコースがそろっていることでした。本人は「プールが素晴らしく、競技場もすぐそばにある」と話しています。
泳ぐ場所はSAGAアクアです。走る場所がその近くにあるため、移動に時間を取られません。
自転車については「登りや平地、起伏のある場所とさまざまだった」と語っています。3種目の練習が1か所で完結するという条件が、ほかの土地にはなかったということです。
トライアスロンはスイム・バイク・ランを続けて行う競技なので、練習場所が離れているほど1日に積める量が減ります。環境で差がつきやすい競技だといえます。
きっかけは大学の後輩からの誘い
きっかけをつくったのは、大学の後輩である甲斐瑠夏選手でした。国民スポーツ大会に佐賀県代表として出場していた後輩から誘われ、実際に訪ねています。
滞在したのは数日だけでした。その短い間に、拠点にすることを決めています。
見学に行って数日で移住を決めたというのは、それだけ環境の差がはっきりしていたということだと思います。迷ってから動くタイプではないことも伝わってきます。
移住してからランのタイムが20秒縮まった
移住の効果は、ランのタイムが20秒ほど縮まったという形で出ています。本人が佐賀新聞の取材でそう答えています。
佐賀では、世界選手権に出た経験のある上野裕一郎選手らと一緒に走っています。走る種目の専門家が身近にいる環境です。
トライアスロンのランは10キロです。20秒の差は、順位がいくつも入れ替わる大きさになります。
アジア大会で2位との差が9秒だったことを考えると、この20秒がどれだけ効いたかが分かります。移住の判断が、そのまま金メダルにつながった形です。
入籍と佐賀移住が同じ月に重なっている
入籍と佐賀移住は、どちらも2024年1月の出来事です。入籍の報告が1月27日、佐賀市へ移り住んだのも同じ月と伝えられています。
入籍の報告にあった「2024年、競技も私生活も充実させていきます」という一文は、この二つを合わせて言ったものだと考えられます。パリ五輪の代表争いが本格化する直前の時期でもありました。
結婚と、九州への拠点移しを同じ月に決める。私だったら片方ずつにすると思いますが、五輪までの逆算で動いたのだとすれば、あの1か月しか無かったのだろうと思います。
結婚相手についての情報がこれ以上出てくる可能性は低いと、私は思っています。理由は三つあって、①本人が入籍報告でもタグ付けまでにとどめていること ②選手プロフィール5か所に家族の欄そのものが無いこと ③2年半以上たっても報道で名前が出ていないこと、のどれもが「出す前提になっていない」ことを示しているからです。
北條巧のトライアスロン経歴と主な戦績
北條巧さんのトライアスロン経歴は、大学入学と同時に競泳から転向したところから始まります。転向から3年半で日本一になり、そこから日本の第一人者になりました。
2018年に日本選手権で初優勝し、翌年に連覇。2023年にはワールドカップで日本男子として16年ぶりの優勝を挙げています。
そして2026年9月、アジア大会で日本勢の金メダル第1号になりました。歩みを順に見ていきます。
幼稚園から高校まで競泳をしていた
競技の出発点は競泳で、幼稚園から高校3年まで14年間続けています。種目はバタフライでした。
憧れていたのは北島康介さんで、五輪に出ることが夢だったと語っています。ただ、競泳では届かないと感じていました。
この14年で身につけた泳ぎが、いまの武器になっています。スイムで先頭に立って集団を消耗させるレースの組み立ては、この土台があってのものです。
転向のきっかけは両親が見つけた記録会
転向のきっかけをつくったのは両親でした。トライアスロン連合の強化認定記録会があることを見つけて、本人に勧めています。
高校3年のときにその記録会へ出て、スイム400メートルとラン5000メートルで強化指定の記録を突破しました。これで日本体育大学のトライアスロン部から声がかかります。
本人は進学を迷っていました。背中を押したのは高校の先生の「オリンピックは今しか目指せない」という言葉だったと振り返っています。
結婚相手のことは出てきませんが、両親については本人が何度も語っています。競技を変える最初の一歩をつくったのが家族だった、という点は覚えておきたいところです。
主な戦績を年の順に並べた年表
主な戦績は、転向から日本一まで3年半、日本一から金メダルまで8年という流れになります。そのときどこを拠点にしていたかも合わせて並べました。
| 年 | できごと | そのときの拠点 |
|---|---|---|
| 1996年 | 4月7日に埼玉県北本市で生まれる | 埼玉 |
| 2014年ごろまで | 幼稚園から高校3年まで競泳を続ける | 埼玉 |
| 2015年 | 日本体育大学へ進学しトライアスロンへ転向 | 関東 |
| 2018年 | 10月の日本選手権で初優勝 | 関東 |
| 2019年 | 日本選手権で連覇・アジア混合リレー優勝 | 関東 |
| 2023年 | ワールドカップで日本男子16年ぶりの優勝 | 関東 |
| 2023年9月 | 杭州アジア大会の混合リレーで金メダル | 関東 |
| 2024年1月 | 入籍を報告・佐賀市へ移住 | 佐賀 |
| 2024年夏 | パリ五輪の代表入りを逃す | 佐賀 |
| 2024年11月 | 日本選手権で5年ぶり3度目の優勝 | 佐賀 |
| 2025年 | アジアトライアスロンスプリント選手権で優勝 | 佐賀 |
| 2026年9月 | 愛知・名古屋アジア大会で金メダル | 佐賀 |
こうして並べると、佐賀へ移ってからの結果が一段上がっていることが分かります。移住の前は日本国内での優勝が中心で、移住後はアジアの舞台で勝つようになりました。
2024年11月の日本選手権は、1時間46分44秒で2位に48秒の差をつける内容でした。パリ五輪を逃した直後のレースです。
アジア大会で日本勢の金メダル1号になった
アジア大会では、日本勢の金メダル第1号になりました。2026年9月20日、愛知県蒲郡市の特設コースで行われたトライアスロン男子での優勝です。
記録は52分56秒で、2位の中国の選手に9秒差をつけています。大会全体で最初に決まる金メダルでした。
本人は「トライアスロンって日本であまり有名じゃないので、ここがチャンスだと思っていた」と話しています。髪を真っ赤に染めて臨んだのも、その意図からでした。
レースの組み立てについては「僕は最後のスパートが苦手。ロングスパートで、ここで勝負するしかない」と振り返っています。得意のスイムで先行する作戦はうまくいかず、バイクとランで押し切った形でした。
ゴール後の言葉は「最後、勝ちきることができて本当に今幸せです」というものでした。五輪を二度逃した選手が、国内開催の大会でようやく手にした金メダルです。
北條巧とオリンピックの関係
北條巧さんとオリンピックの関係は、まだ一度も出場できていないというところにあります。東京もパリも、代表入りを逃しました。
日本選手権を3度制し、アジア大会で金メダルを取っても、五輪の舞台には立てていません。この一点が、いまの競技生活の軸になっています。
次に狙うのは2028年のロサンゼルスです。落選から再起までの流れを見ていきます。
東京もパリも出場を逃している
東京とパリは、どちらも代表争いで敗れて出場できませんでした。パリ五輪の選考を兼ねたテスト大会では、日本勢最高の20位に入りながら代表に届いていません。
本人はもともと、東京で入賞、パリでメダルという計画を立てていました。競泳から転向した理由が「オリンピックに出ること」だったからです。
その計画が二度とも崩れたことになります。周囲の落胆も大きく、妻がパリ五輪の中継を見なかったのもこのときです。
待ち受け画面はパリ五輪開会式の写真
携帯電話の待ち受け画面には、パリ五輪の開会式の写真を設定しています。自分が立てなかった場所の写真を、毎日見る形にしたということです。
本人の言葉は「あの場にいられなかった、(代表争いで)負けたのを忘れずにやっていきたい。見れば、原動力になるので」というものでした。
悔しさを消すのではなく、燃料として使う。この切り替え方が、2024年11月の日本選手権と2026年9月の金メダルにつながっています。
目指すのはロサンゼルス五輪の金メダル
目指しているのは、2028年ロサンゼルス五輪の金メダルです。アジア大会で優勝した直後に「五輪の金メダルをアジアから挑戦したい」と語っています。
ロサンゼルス五輪のとき、北條巧さんは32歳です。トライアスロンは持久系の競技なので、この年齢は無理のある挑戦ではありません。
アジアの選手が五輪のトライアスロンでメダルを取った例は、これまでほとんどありません。だからこそ「アジアから挑戦したい」という言い方をしたのだと思います。
北條巧がせっかくグルメに出演した回
北條巧さんがせっかくグルメに出演したのは、2023年9月17日に放送された千葉県館山市の回です。地元のおすすめを伝える案内役として登場しています。
番組はTBSのバナナマンのせっかくグルメで、この日は日村勇紀さんが館山市を回りました。トライアスロン選手という肩書きで紹介されています。
競技の実績とは別に、この出演で名前を覚えた人もいます。せっかくグルメというキーワードが一緒に調べられているのは、そのためだと考えられます。
放送は2023年9月17日の千葉県館山市の回
放送日は2023年9月17日で、舞台は千葉県館山市でした。番組の予告文には「トライアスロン・北條巧さん」という形で名前が入っています。
館山市は、毎年トライアスロンの大会が開かれている街です。競技で縁のある土地だったことが、出演につながったと考えられます。
放送はパリ五輪の選考が本格化する前の年でした。日本選手権を2度制していた時期で、競技の第一人者としての出演です。
紹介したのは極厚の焼肉が食べられる店
紹介したのは、極厚の焼肉が食べられる館山市内の店でした。番組では店名を村長さんとして取り上げています。
看板メニューとして出てきたのは特上タンとレバー塩です。日村勇紀さんが白米と一緒に豪快に食べる場面が放送されました。
持久系の選手が焼肉をすすめるというのは、少し意外に見えるかもしれません。ただ、1日に何時間も動く競技なので、食べる量そのものが多いのは自然なことです。
北條巧についてよくある質問
結婚相手の名前は分かっていますか
結婚相手の名前は公表されていません。2024年1月27日の入籍報告で相手のアカウントがタグ付けされているだけで、名前・年齢・職業のいずれも出ていません。
子供はいますか
子供がいるという発表は出ていません。本人の投稿にも、競技団体の選手ページにも、報道にも子供にふれた記述がありません。
年齢と生年月日はいくつですか
年齢は30歳で、生年月日は1996年4月7日です。身長は172センチ、体重は62キロです。
なぜ佐賀に住んでいるのですか
佐賀に住んでいるのは練習環境が理由です。プールと競技場が近く、自転車のコースに登りも平地も起伏もあることを決め手に挙げ、2024年1月に佐賀市へ移りました。
オリンピックに出たことはありますか
オリンピックの出場経験はありません。東京もパリも代表争いで敗れていて、次は2028年のロサンゼルスを目指しています。
せっかくグルメにはいつ出ましたか
せっかくグルメに出たのは2023年9月17日放送の千葉県館山市の回です。トライアスロン選手として、極厚の焼肉が食べられる店を紹介しました。
まとめ:北條巧の結婚相手と子供について
北條巧さんの結婚相手と子供、そして年齢や佐賀移住の理由について、分かっていることをまとめました。
- 入籍は2024年1月27日。本人がインスタグラムで「ご報告」として伝えた
- 結婚相手の名前・年齢・職業は公表されていない。報告ではアカウントのタグ付けにとどめている
- 選手プロフィール5か所を照合したところ、配偶者や家族の欄そのものが置かれていない
- 妻については、パリ五輪のトライアスロンを一切見なかったという一行が東京新聞に出ているだけ
- 子供がいるという発表は出ていない。本人・競技団体・報道のいずれにも記述が無い
- 年齢は30歳、生年月日は1996年4月7日。身長172センチ、体重62キロ
- 出身は埼玉県北本市で、北本中学校から熊谷高校、日本体育大学へ進んだ
- 佐賀移住は2024年1月。プールと競技場と自転車のコースが近いことが決め手だった
- きっかけは大学の後輩からの誘いで、数日の滞在で拠点にすることを決めている
- 移住後はランのタイムが20秒ほど縮まり、アジア大会では2位に9秒差をつけた
- 入籍と佐賀移住は同じ2024年1月に重なっている
- 幼稚園から高校まで競泳。大学でトライアスロンへ転向し、2018年に日本選手権初優勝
- 東京もパリも五輪出場を逃し、待ち受け画面をパリ五輪開会式の写真にしている
- 2026年9月20日のアジア大会で52分56秒の優勝。日本勢の金メダル第1号になった
- せっかくグルメには2023年9月17日放送の千葉県館山市の回に出演した
結婚相手について本人が出したのは、入籍の日付と「競技も私生活も充実させていきます」という一文でした。そこへ、佐賀移住を同じ月に決めたという事実を重ねると、二人でどこへ向かおうとしたのかが見えてきます。
アジア大会はまだ続いています。混合リレーでどんな走りを見せるのか、ぜひ追いかけてみてくださいね。

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