湘南ベルマーレでプレーする、20歳のMF石橋瀬凪(いしばし せな)さん。高校を出てすぐにJ1のピッチに立ち、切れ味の鋭いドリブルで一気に名前が広まった選手です。
そんな石橋瀬凪さんに付けられているのが「NEXT三笘」という呼び名です。ドリブルで仕掛ける左サイドという立ち位置が、ブライトンの三笘薫選手と重なって見えるのだと思います。
そうなると、どんな高校や中学でここまでのドリブルを身につけたのかが気になるところですよね。プレースタイルや日本代表での実績、年俸や移籍のことも合わせて知りたくなります。
そこで当記事では、湘南ベルマーレの公式サイト、Jリーグの公式データ、日本サッカー協会の規則、地元紙の記事を確かめて、石橋瀬凪さんについて次のことをまとめました。
石橋瀬凪さんの出身高校は兵庫県の神戸弘陵学園高校、中学は神戸市立駒ケ林中学校です。中学まではヴィッセル神戸の下部組織にいましたが、ユースには上がれませんでした。
- 出身高校の神戸弘陵学園高校がどんな学校で、在学中に何を残したのか
- 出身中学と小学校、そしてヴィッセル神戸のユースに上がれなかった経緯
- NEXT三笘と言われるようになった3つの出どころを、時系列で整理したもの
- 三笘薫選手とのプロフィール比較表と、本人が三笘薫選手について話した言葉
- プレースタイルと、公式の質問への答えが1年でどう変わったか
- プロフィールと経歴の年表、公式2ページで食い違っている数字
- U-18からU-21まで、日本代表に選ばれた回数と大会
- Jリーグ公式データで見た通算成績と、受賞している月間賞
- 年俸が公表されていない中で、日本サッカー協会の規則から絞れる金額の幅
- 移籍がどうなっているかと、移籍の噂が出る理由

三笘選手に例えられているのは知っているんですけど、誰がそう言い出したのかまでは知らなくて…
石橋瀬凪の出身高校は神戸弘陵学園高校

石橋瀬凪さんの出身高校は、兵庫県神戸市北区にある神戸弘陵学園高校です。2022年に入学し、2025年春に卒業して湘南ベルマーレに加わりました。
湘南ベルマーレが2024年7月22日に出した加入内定のお知らせにも、出身校として「駒ヶ林小学校 ⇒ 駒ヶ林中学校 ⇒ 神戸弘陵学園高校」と書かれています。クラブ自身が出した文書なので、ここは迷う余地がありません。
全国選手権に12回出ている兵庫の強豪校
神戸弘陵学園高校は、全国高校サッカー選手権に12回出場している私立の共学校です。1983年に開校し、サッカー部も同じ年に生まれました。
普通科の中に特進・進学・総合・体育の各コースがあり、丘の上に校舎が建っています。サッカー以外では女子硬式野球部が全国大会の常連で、こちらは何度も日本一になっている学校です。
サッカー部は2023年に、新人戦・総体・選手権の県予選をすべて制する県内3冠を達成しました。石橋瀬凪さんが2年生だった年のことです。
高校2年の選手権で挙げた1点が転機になった
高校時代の分かれ目になったのは、2年生で出た全国高校選手権の3回戦です。鹿児島の神村学園と当たった試合で、チーム唯一の得点を頭で決めました。
この大会の2回戦では、群馬の前橋育英を破っています。サンテレビの取材に対して、本人はこのときのことを次のように話していました。
県内でも強豪のチームで2年生から全国に出られて、“センシュケン”の経験は大きかったです(中略)3回戦の鹿児島・神村学園戦では、唯一の得点を挙げられましたし、高校からプロを目指すという大きなきっかけとなりました
最上級生になった3年時は、背番号10を付けてエースとして戦いました。ただし選手権の県予選はベスト8で敗れ、2年連続の全国出場はかないませんでした。
ドリブルを支えたのは砂走路と呼ばれる練習場所
高校で伸びたのは、ドリブルそのものよりスピードでした。神戸弘陵学園高校のグラウンドには「砂走路」と呼ばれる砂を敷いたエリアがあり、そこでの自主練習が効いたと本人が語っています。
この砂走路は、OBの江坂任選手がJリーグに入団したときの育成費で作られたものです。後輩たちが走り込む場所を、先にプロへ進んだ先輩が残していったことになります。
1年生のころは公式戦の前日でも3往復を20本という単位で走り込んでいたそうです。3〜4人で一緒にやることで「負けたくない」という気持ちを保っていた、というのが本人の説明でした。
石橋瀬凪の出身中学は神戸市立駒ケ林中学校

石橋瀬凪さんの出身中学は、神戸市立駒ケ林中学校です。小学校も同じ地域の駒ケ林小学校で、生まれ育ったのは神戸市長田区になります。
湘南ベルマーレの公式プロフィールでは出身地が「兵庫県神戸市」と書かれていますが、地元紙の取材記事ではもう一段細かく「神戸市長田区出身」と紹介されています。
中学時代はヴィッセル神戸のジュニアユースにいた
中学の3年間は、ヴィッセル神戸U-15(ジュニアユース)に所属していました。小学4年時からヴィッセル神戸のジュニアに入っているので、小学校の途中から中学卒業までをJクラブの下部組織で過ごしたことになります。
サッカーそのものを始めたのは小学1年生のとき、地元の駒ヶ林FCでした。きっかけは兄の莉玖(りく)さんの影響で、湘南ベルマーレの公式プロフィールでも「サッカーを始めたきっかけ」の欄に「兄の影響」と答えています。
ユースに上がれなかった悔しさが進路を決めた
中学から高校へ進むときに、ヴィッセル神戸U-18への昇格はかないませんでした。腰の負傷に悩まされていた時期で、そのまま下部組織を離れることになります。
この出来事について、本人は神戸新聞の取材で「悔しくて落ち込んだが、見返したろうと思った。上げておけば良かったと思わせたい」と振り返っています。進学先の神戸弘陵学園高校で奮起した背景が、この一言に詰まっています。
つまりJクラブのエリートコースをそのまま上がった選手ではありません。一度そこから外れて、高校の3年間で作り直した選手だと考えられます。
原点は自宅の近くにある公園だった
ドリブルの土台ができたのは、自宅から歩いて行ける公園だったそうです。マーカーを並べてひたすらドリブルを繰り返す練習を、小学生のころから週に4日ほど続けていました。
夜に1人で行くこともあれば、父の勇人さんとマンツーマンでやることもあったといいます。プロになった後も、チームの活動がない期間には同じ公園に通っていると話していました。

ここからが本題の「NEXT三笘」です。誰がいつ言い出したのか、3つの出どころをたどれました。
石橋瀬凪がNEXT三笘と言われる理由は3つ
石橋瀬凪さんがNEXT三笘と言われる理由は、プロ入り前と入った後で別々に3つあります。ファンが言い出したのが最初ではなく、最初に三笘薫選手の名前を出したのはクラブ側の人間でした。
順番に並べると、2024年のスカウトの評価、2025年8月の試合で起きたこと、そして2025年9月のリーグ表彰の3つになります。
理由①スカウトが三笘薫に近いポテンシャルと評した
いちばん古いのは、加入が決まった2024年7月のスカウトの言葉です。神戸新聞が加入内定を伝えた記事で、湘南のスカウトが三笘薫選手にたとえて「近いポテンシャルを持っている」と評したと書かれています。
このときの経緯も具体的です。2024年5月、湘南のスカウトは別の選手を見に行った先で石橋瀬凪さんに目を留め、翌6月にクラブの練習へ招きました。
そこで仕掛けたドリブルを、プロの現役選手たちがファウルでしか止められなかったといいます。高校生が大人の中で見せた現象そのものが、評価の根拠になったわけです。
理由②FC東京戦の股抜きドリブルで一気に広まった
呼び名が広まったのは、2025年8月16日のJ1第26節・FC東京戦です。1点を追う後半32分に途中出場から左サイドでボールを受け、相手DFの股を抜いてから中央へラストパスを通しました。
この場面をクラブの公式SNSがハイライトとして出したところ、「独特のリズム」「三笘かよ」「サンチョに見えてきた」「他所に見つかってしまう」といった反応が並びました。プロ1年目で、まだ4試合目の出番でのことです。
理由③リーグの表彰で三笘薫の名前が選考理由に入った
リーグの表彰で三笘薫選手の名前が選考理由に入ったのは、2025年8月度の月間ヤングプレーヤー賞です。この賞は各月・各カテゴリーから21歳以下の選手を1人だけ選ぶもので、石橋瀬凪さんが選ばれました。
湘南ベルマーレが2025年9月16日に出した受賞のお知らせには、選考理由が2つ載っています。JFA技術委員会が「U-22日本代表に選出され、さらなる成長と今後の活躍が期待される」、槙野智章氏が「三笘薫選手を彷彿とさせるようなドリブル。FC東京戦の突破は素晴らしかった」と評しました。
つまり三笘薫選手との比較は、ファンの感想にとどまらずリーグの表彰の選考理由にまで書かれています。呼び名がここまで定着した理由は、この公式文書にあると考えられます。
体格もサッカーを始めたきっかけも重なっている
体格もサッカーを始めたきっかけも、2人はきれいに重なっています。公式プロフィールと公開されている経歴から、項目ごとに整理したのが次の表です。
| 項目 | 石橋瀬凪 | 三笘薫 |
|---|---|---|
| 身長/体重 | 180cm/72kg | 178cm/73kg |
| 利き足 | 右足 | 右足 |
| ポジション | MF(サイド) | MF(サイド) |
| サッカーを始めたきっかけ | 兄の影響 | 兄の影響 |
| 小中学校年代 | ヴィッセル神戸U-12・U-15 | 川崎フロンターレU-12・U-15 |
| 高校年代 | 神戸弘陵学園高校(ユース昇格ならず) | 川崎フロンターレU-18 |
| 高校卒業後 | そのままJ1クラブへ | 昇格を断って筑波大学へ |
| J1デビュー | 19歳(2025年5月) | 22歳(2020年2月) |
体格はほぼ同じで、利き足も、サッカーを始めたきっかけまで同じです。三笘薫選手も兄の影響でボールを蹴り始めた選手でした。
一方で道すじは正反対です。三笘薫選手はトップ昇格の打診を断って大学に進み、22歳でJ1デビューしました。石橋瀬凪さんはユースに上がれずに高校へ進み、19歳でJ1デビューしています。
本人はプレーの真似はしないと話している
意外なのは、本人が三笘薫選手を手本にしているわけではないことです。高校3年の冬にサンテレビの取材を受けた際、憧れの選手として名前を挙げたのは宇佐美貴史選手でした。
三笘薫選手については「最近、動画で視聴回数が多い」とだけ答えています。そのうえで、特定の選手のプレーを真似することは皆無だと話していました。
今のドリブルの形も、壁にぶつかるたびに自分で考えて作ったものだそうです。大事なのは「体重移動とタイミング」だと本人は説明しています。
ちなみに湘南ベルマーレの公式プロフィールで「憧れていたサッカー選手」を聞かれた欄には、2025年版でも2026年版でもネイマール選手と答えています。子どものころ真似していた選手も同じ名前です。
石橋瀬凪のプレースタイルはドリブルで仕掛けるサイドアタッカー
石橋瀬凪さんのプレースタイルは、独特のリズムを持ったドリブルで局面をこじ開けるサイドアタッカーです。湘南ベルマーレが加入内定を発表したときの文章に、そのまま「独特なリズムを持ったドリブルが特徴で、個の力で局面を打開できるサイドアタッカー」と書かれています。
クラブの公式SNSも、FC東京戦のハイライトで「相手選手を振り切る、切れ味鋭いドリブルでチャンスを作る」と表現していました。評価の軸は、加入前から今日までずっとドリブルです。
左右どちらのサイドでも仕掛ける
もともとの持ち場は左サイドですが、右サイドでも起用されています。2025年12月にU-22日本代表へ合流した際のインタビューでは「右でも左と変わらず積極的に仕掛けていきたい」と話していました。
湘南ベルマーレの公式プロフィールでも、今のポジションを選んだ理由として「サイドでの1対1がすき」と答えています。抜くこと自体が好きで選んだ持ち場ということです。
見てほしいポイントがシュートとクロスに変わった
注目したいのは、本人が挙げる「見てほしいところ」が1年で変わったことです。湘南ベルマーレの公式プロフィールには毎年同じ趣旨の質問が並んでいるので、2025年版と2026/27年版を突き合わせると答えの変化が分かります。
| 質問 | 2025年(1年目) | 2026/27年(2年目以降) |
|---|---|---|
| 見てほしいプレー | ドリブル突破 | 最後のシュート、クロス |
| 今シーズンの目標 | 多くの得点に絡む | 得点をとれる選手になる |
| デビュー戦について | 早くデビューできるように頑張ります | 緊張でファーストタッチトラップミス |
| 人生で一番感動した出来事 | プロサッカー選手になれたこと | 湘南にくるときに同級生が見送りにきてくれたこと |
| 最近の悩み | 一人暮らしできるかの心配 | 一人暮らしが暇 |
| 好きな言葉 | 練習あるのみ | ドリブラー |
| 海外で行ってみたい場所 | フランス | ブラジル |
1年目は「ドリブル突破」を見てほしいと書いていたのが、2年目には「最後のシュート、クロス」に変わりました。目標も「得点に絡む」から「得点をとれる選手になる」へ、一段踏み込んでいます。
私はここが、この選手をこれから見るときの目のつけどころだと思っています。NEXT三笘という呼び名はドリブルへの評価ですが、本人はもうその先を見ているからです。
実際、J1では10試合に出て0得点でした。抜けること自体は1年目から証明済みで、足りないのは最後の1本という数字が出ています。
ですから次の1年は、呼び名ではなくゴールとアシストの数で追ったほうが、この選手の伸びは正確に見えると私は考えています。
石橋瀬凪のwikiプロフィールと経歴
石橋瀬凪さんは、2006年4月22日生まれの20歳です。湘南ベルマーレの背番号20を付けるMFで、2025年からプロとしてプレーしています。
基本プロフィールと、公式で数字が食い違うところ
基本のプロフィールは、クラブの公式選手ページが最も新しい数字です。2026年9月16日に確認した内容をまとめました。
| 名前 | 石橋 瀬凪(いしばし せな) |
|---|---|
| 生年月日 | 2006年4月22日 |
| 出身地 | 兵庫県神戸市(長田区) |
| 身長/体重 | 180cm/72kg |
| 血液型 | B型 |
| 利き足/足のサイズ | 右/27.5cm |
| 所属・背番号 | 湘南ベルマーレ/20 |
| ポジション | MF |
| 愛称 | せな |
ここで1つ食い違いがあります。加入内定を発表した2024年7月の文書では179cm・67kgでしたが、今の選手ページは180cm・72kgです。
プロ入りからの体づくりで5kg増えた形になります。高校生のときの数字がそのまま残っているページもあるので、新しいほうはクラブの選手ページだと考えてよさそうです。
経歴を年表で振り返る
経歴をたどると、小学1年から一度も競技を離れていないことが分かります。年ごとに並べたのが次の一覧です。
- 2006年4月 兵庫県神戸市長田区に生まれる
- 小学1年 兄の影響で地元の駒ヶ林FCに入る
- 小学4年 ヴィッセル神戸U-12へ
- 中学3年間 ヴィッセル神戸U-15でプレー。腰の負傷に悩む
- 2022年 神戸弘陵学園高校へ進学(ユース昇格はかなわず)
- 2023年 チームが県内3冠。全国選手権3回戦で得点
- 2024年 背番号10を背負い、U-18日本代表に選出
- 2024年7月22日 湘南ベルマーレへの加入内定が発表される
- 2025年1月27日 練習中に左前距腓靭帯を損傷
- 2025年5月25日 アルビレックス新潟戦でJリーグ初出場
- 2025年9月 J1リーグ8月度の月間ヤングプレーヤー賞を受賞
- 2026年1月 U-23アジアカップに出場
- 2026年4月18日 ザスパ群馬戦でプロ初得点
プロ1年目の出だしでつまずいていた点は見落とされがちです。2025年1月27日の練習で左足首の靭帯を痛めており、デビューが5月末までずれ込みました。
石橋瀬凪の日本代表はU-18からU-21まで
石橋瀬凪さんは、高校3年のときから年代別の日本代表に選ばれ続けています。A代表への招集はまだありません。
最初の選出は高校3年でのU-18日本代表
最初に日の丸を付けたのは、神戸弘陵学園高校の3年生だった2024年です。持ち前のスピードが評価されての選出でした。
湘南ベルマーレの選手プロフィールの経歴欄にも「’24 U-18日本代表」と記されています。高校からプロへ進む前の年に、すでに全国区の評価を受けていたことになります。
U-23アジアカップで優勝を経験した
年代別代表での大きな実績は、2026年1月のAFC U23アジアカップです。2025年12月28日にU-23日本代表への選出が発表され、大会では4試合に出て1得点を挙げました。
日本はこの大会で連覇を果たしています。プロ2年目の1月に、アジアのタイトルを経験したことになります。
U-21日本代表には3度呼ばれている
2026年に入ってからは、U-21日本代表として3月・5月・7月の3度選ばれています。7月31日に発表されたメンバーでは、同じ湘南の石井久継選手と一緒に選出されました。
このときのコメントで、本人は次のように話しています。
日本代表としての責任とプライドを持ち、大会に挑み、自分のプレーを最大限に発揮し、チームの勝利に貢献できるように頑張ります
年代別代表の選出は、2025年8月のU-22から数えると7回を超えています。呼ばれ続けているという点が、単発の活躍ではないことを示していると考えられます。
石橋瀬凪のJリーグでの成績と受賞歴
石橋瀬凪さんのJリーグ通算成績は、リーグ戦22試合1得点です。リーグカップを含めた公式戦では25試合1得点になります。
年度ごとの出場数と得点
年度ごとの数字は、Jリーグの公式データで確認できます。2026/27シーズンが始まったばかりの時点での一覧が次のとおりです。
| シーズン | カテゴリー | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|
| 2025 | J1 | 10 | 0 |
| 2025 | リーグカップ | 1 | 0 |
| 2026特別 | J2・J3百年構想リーグ | 12 | 1 |
| 2026/27 | J2 | 1 | 0 |
初出場は2025年5月25日のアルビレックス新潟戦、初得点は2026年4月18日のザスパ群馬戦でした。どちらも公式のデータに記録として残っています。
月間ヤングプレーヤー賞を2回受賞している
受賞歴で目立つのは、月間ヤングプレーヤー賞の2回受賞です。1回目が2025年のJ1リーグ8月度、2回目が2026年のJ2・J3百年構想リーグEAST-A 3月度でした。
カテゴリーが変わっても同じ賞を取っている点が、この2回の意味だと思います。J1でもその下でも、同じように相手を抜けているということだからです。
そのほか、2026年5月にはJリーグオールスターDAZNカップのファン・サポーター投票でも選ばれています。高校時代のタイトルとしては、2023年のプリンスリーグ関西2部優勝と兵庫県高校選手権優勝があります。
石橋瀬凪の年俸と移籍はどうなっているか
石橋瀬凪さんの年俸は、クラブもリーグも金額を公表していません。移籍についても、2026年9月の時点で発表はありません。
規則から金額の幅は絞れる
金額そのものは出ていませんが、上と下の線は規則で決まっています。日本サッカー協会のプロサッカー選手の契約、登録および移籍に関する規則に、報酬の条項があるためです。
この規則では、初めてプロ契約を結ぶ選手の初年度の基本報酬は年額1,200万円を超えてはならないと定められています。石橋瀬凪さんが初めて契約したのは2025年なので、1年目はこの範囲に収まっていたことになります。
下限のほうも決まっています。2026年7月1日以降はJ1が年額480万円、J2が360万円、J3が240万円が下限で、当事者が合意していてもこれを下回れません。
| 規則で決まっていること | 金額(消費税別) |
|---|---|
| 初めてプロ契約する選手の初年度の上限 | 年額1,200万円 |
| J1クラブの下限(2026年7月1日以降) | 年額480万円 |
| J2クラブの下限(2026年7月1日以降) | 年額360万円 |
| J3クラブの下限(2026年7月1日以降) | 年額240万円 |
| 初めてプロ契約した選手への支度金の上限 | 500万円 |
2年目以降の上限はありません。湘南ベルマーレは現在J2に所属しているので、下限は360万円ということになります。
そのうえで推定値を出しているサカマネ.netでは、2025年の年俸を420万円としています。月間賞を2回受賞して年代別代表に呼ばれ続けている現状を踏まえると、いまはこの水準を上回っていると考えるのが自然です。
移籍の噂が出るのには理由がある
移籍については、クラブから何も発表されていません。2026/27シーズンも湘南ベルマーレの背番号20として登録されています。
それでも噂が出るのは、FC東京戦のドリブルが広まったときの反応に理由があります。あの場面を見たファンから「また引き抜かれそう」「他所に見つかってしまう」という声が並びました。
三笘薫選手と比べられる選手が20歳でJ2にいる状況そのものが、移籍の話を呼びやすくしているのだと考えられます。ただし現時点では、あくまで期待から出ている話です。
石橋瀬凪についてよくある質問
名前の読み方は
読み方は「いしばし せな」です。湘南ベルマーレの公式プロフィールにも「イシバシ セナ」と記載されています。チーム内やサポーターからは「セナ」と呼ばれています。
兄はどんな人か
兄は莉玖(りく)さんという名前で、サッカーを始めるきっかけになった人です。地元紙の取材で名前が出ています。競技を続けているかどうかは公表されていません。
背番号は何番か
背番号は20番です。2025年の加入時から2026/27シーズンまで変わっていません。高校時代の最終学年ではエースの10番を背負っていました。
身長は何センチか
身長は180cmです。加入内定を発表した2024年7月の文書では179cmでしたが、クラブの選手ページとJリーグの公式データはどちらも180cm・72kgになっています。
石橋瀬凪の出身高校とNEXT三笘と言われる理由のまとめ
当記事では、石橋瀬凪さんの出身高校や中学と、NEXT三笘と言われる理由について紹介しました。
- 出身高校は兵庫県の神戸弘陵学園高校で、全国選手権12回出場の強豪校
- 出身中学は神戸市立駒ケ林中学校、小学校は駒ケ林小学校
- 中学までヴィッセル神戸の下部組織にいたが、U-18へは上がれなかった
- NEXT三笘の出どころは、スカウトの評価・FC東京戦のドリブル・リーグ表彰の選考理由の3つ
- 体格も利き足も、サッカーを始めたきっかけも三笘薫選手と重なる
- 本人が憧れの選手に挙げているのはネイマール選手で、真似はしないと話している
- Jリーグ通算はリーグ戦22試合1得点、月間ヤングプレーヤー賞を2回受賞
- 年俸は公表されていないが、規則で初年度の上限と下限は決まっている
ユースに上がれなかったところから高校の3年間で作り直し、19歳でJ1のピッチに立った選手です。呼び名よりも、これから積み上がるゴールとアシストの数字に注目したいですね。

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