キムラ緑子の子供や旦那は?若い頃と本名や大学はどこ?

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キムラ緑子の子供や旦那は?若い頃と本名や大学はどこ?

日曜劇場『VIVANT』の別班司令官や、朝ドラ『ごちそうさん』の意地悪な小姑役で知られるキムラ緑子さん。年齢を重ねるほど出演作が増えている俳優さんですよね。

そんなキムラ緑子さんについて調べていると、子供はいるのか、旦那さんは誰なのか、といったキーワードが並びます。同じ相手と2回結婚しているという話も、テレビで何度か紹介されてきました。

キムラ緑子さんに子供はいません。旦那さんは劇作家で演出家のマキノノゾミさんで、1992年に結婚したあと2005年にいったん離婚し、その後もう一度同じ相手と籍を入れています。

ここでは子供と旦那さんの話を軸に、若い頃の歩みや本名、出身大学まで、公表されている事実を順番に整理していきます。テレビで語られた言葉は、いつどの番組で話したものかまで添えました。

この記事でわかること
  • 子供がいないことと、本人がそれをどう語ってきたか
  • 「子はかすがい」という発言が出た番組と放送日
  • 旦那のマキノノゾミとの出会いから離婚、再婚までの流れ
  • 再婚の年が2010年と2011年に割れている理由
  • 歌手にあこがれた若い頃と、52歳で全国に知られるまで
  • 本名・年齢・生年月日などのプロフィール
  • 出身大学が同志社女子大学だという裏づけ
  • VIVANT・グレーテルのかまど・三浦春馬との共演作
質問

お母さん役がすごく自然なので、てっきりお子さんがいる方だと思っていました…!

目次

キムラ緑子に子供はいない|本人が語った離婚と子どもの話

キムラ緑子に子供はいない|本人が語った離婚と子どもの話

キムラ緑子さんに子供はいません。旦那さんのマキノノゾミさんとの間にお子さんが生まれたという発表はなく、本人もテレビ番組で子どもがいないことを前提に話しています。

子どもについてキムラ緑子さんがどこでどう語ってきたのかを、放送日と番組名までさかのぼって整理しました。「子供がいない」という一行だけでは見えてこない話が、本人の言葉のほうに残っています。

娘や息子がいるという発表はありません

娘さんや息子さんがいるという発表は、これまで一度も出ていません。所属事務所のプロフィールにも家族についての記載はなく、本人が自分の子どもについて話した場面もありません。

それでも「娘」というキーワードが一緒に調べられているのは、母親役を演じる機会がとても多いからだと思われます。ドラマでは息子や娘を持つ役をたびたび任されていて、家族のシーンが強く印象に残るタイプの俳優さんですよね。

役の中の母親と、本人の家族はもちろん別の話です。ただ、演技が生活の延長のように見える人ほど、役と本人が重なって受け取られやすいのだろうと感じます。

子はかすがいと語ったのは2018年1月のカンテレの番組

子どもと離婚の関係について本人が語ったのは、2018年1月13日に放送されたカンテレのトーク番組『おかべろ』でした。岡村隆史さんとロンドンブーツ1号2号の田村亮さんがMCを務める番組で、離婚と再婚の経緯を本人が話しています。

その中でキムラ緑子さんは「子はかすがいとよく言ったもの。お子さんがいる、自分たちの宝物、つなぐものがいるというのはね。それがないからね。それがあったらもう、全然(離婚)してない」と話しました。この発言はデイリースポーツが同じ日に報じています。

この話は「子どもがいなかったから離婚した」という意味ではなく、踏みとどまる理由になるものが自分たちにはなかった、という振り返りとして語られたものでした。同じ時期の番組では、離婚したあとに一人でいるのがしんどくなったという話も出ています。

語った日 番組・媒体 語られた内容
2018年1月13日 カンテレ『おかべろ』(デイリースポーツが報道) 子はかすがい、それがあったら離婚していない
2018年1月22日 テレビ朝日系『徹子の部屋』(デイリースポーツが報道) 再婚を望んだ理由は「もったいない人かもな」
2018年11月9日 読売新聞のインタビュー 血をつなぐことはできなかったが、別の形で残せるものを
2020年2月26日 テレビ朝日系『徹子の部屋』(夫と出演) 離婚という回り道で得たこと
2025年12月10日 テレビ朝日系『徹子の部屋』 3回やると世間に怒られちゃう、今は仲良く暮らしている

2人にとって作品が子どものような存在だった

再婚を持ちかけた理由について、キムラ緑子さんは2018年1月22日の『徹子の部屋』でこう話しています。「せっかく劇団でいろいろ作ってきた作品みたいなものが、老後、あの作品についてとか、一緒にビデオ見て『楽しかったね』…って言えないのか?」という言葉でした。

さらに「もったいないという言葉も人に対して変なんですけど、もったいない人かもなと思ってしまったというのもある」とも続けています。夫婦で20年以上作ってきた舞台が、2人の間に残っているものだったわけですね。

読売新聞のインタビューでも「子どもがいなくて、脈々と血をつないでいくことはできなかったけど、その代わりに違うもので、脈々と後に残せるものが見つかればいいなと」と語っています。私はこの2つの言葉が、この夫婦のいちばん分かりやすい説明になっていると思っています。血のつながりの代わりに置かれたのが、一緒に作った作品だったということですよね。

キムラ緑子の旦那は劇作家のマキノノゾミ

キムラ緑子の旦那は劇作家のマキノノゾミ

キムラ緑子さんの旦那さんは、劇作家・脚本家・演出家のマキノノゾミさんです。1959年9月29日生まれで静岡県浜松市の出身、本名は牧野望さんといいます。

森光子さんの舞台を数多く手がけてきた演劇界の重鎮で、日本劇作家協会の常務理事も務めている方です。2人は劇団の座長と看板女優という関係でもありました。

出会いは大学の演劇サークル第三劇場

2人が出会ったのは大学の演劇サークル「第三劇場」でした。大学に入ったキムラ緑子さんが、演劇好きの友人に誘われてサークルを見学に行ったのがきっかけです。

そこで観たのがつかこうへいさんの作品で、その衝撃から入部を即決したといいます。その舞台を演出していたのが、2つ上の先輩だったマキノノゾミさんでした。

本人は当時のことを「先輩に耳打ちされた一言を言ったとき、客席がウワーッと笑ったんです。その音のすごさに、なにこれ!と楽しくなっちゃった」と振り返っています。2025年12月の『徹子の部屋』でも「2年上の先輩としてその場で出会って、それからずっと一緒に芝居を作って」と話していました。

1992年の結婚から2005年の離婚まで

2人が結婚したのは1992年です。1984年に旗揚げした劇団M.O.P.で、座長と看板女優として活動を続けながらの結婚生活でした。

劇団は京都を拠点に長く活動し、本人によると35歳ごろに東京へ移ります。舞台を作り、稽古をして、家に帰っても同じ相手がいるという毎日が10年以上続きました。

年 できごと
1984年 劇団M.O.P.の旗揚げに参加
1992年 マキノノゾミと結婚
2005年 離婚(キムラ緑子から申し入れ)
2010年 劇団M.O.P.が解散、2人はこの頃に復縁
2011年 同じ相手ともう一度入籍

離婚を切り出したのは本人だった

2005年の離婚は、キムラ緑子さんのほうから申し入れたものでした。テレビ朝日のテレ朝POSTも「妻のキムラから離婚の申し入れがあり、離婚」と伝えています。

理由について本人は「もうずっといるのがやっぱりちょっと……自分一人の時間がほしい」と語っています。夫婦であると同時に、劇団の座長と看板女優として朝から晩まで同じ場所にいる関係でしたから、距離の取り方が難しかったのだろうと考えられます。

本人はこの離婚を「わがまま」だったとも振り返っています。夫のマキノノゾミさんは「いいやん、好きにしたら」と受け止めたそうで、けんか別れではなかったことが、のちの再婚にもつながっていきます。

キムラ緑子と旦那の再婚は2011年|きっかけは東日本大震災

離婚から数年後、キムラ緑子さんは同じ相手ともう一度籍を入れています。きっかけになったのは東日本大震災のあとに感じた心細さでした。

この再婚については、資料によって2010年と2011年の2通りが出回っています。ここではその理由も含めて整理していきます。

復縁の年が2010年と2011年に割れている理由

再婚の年は、調べる資料によって次のように分かれています。同じできごとを指しているのに、年が1年ずれているという状態です。

出どころ 書かれている年 使われている言葉
デイリースポーツ(2018年1月13日) 2010年 再婚
ウィキペディア(キムラ緑子の項目) 2010年 再び同居し、復縁
ウィキペディア(マキノノゾミの項目) 2011年 復縁
文春オンライン(2026年8月30日) 2010年と2011年 2010年頃に復縁し、2011年に正式に再婚

いちばん細かく書いている文春オンラインの整理に沿うと、2010年に一緒に暮らし始めて、2011年に籍を入れたという二段階だったことになります。「復縁」と「入籍」を別のできごととして数えるかどうかで、年が1年ずれていたわけですね。

本人が再婚のきっかけとして挙げているのは東日本大震災で、これは2011年3月のできごとです。私は、2010年に一緒に暮らし始めて2011年に入籍した、と読むのがいちばん自然だと思っています。震災より前に籍を入れていたのなら、震災がきっかけという本人の説明と合わなくなるからです。

もう1回結婚してとごり押しした経緯

再婚を持ちかけたのも、キムラ緑子さんのほうからでした。震災のあとの心境について、本人は「精神がちょっと……1人ではいられなくなって『もう1回結婚して』と」と話しています。

ところが、この申し出はいったん断られています。マキノノゾミさんの返事は「今さら籍はいいんじゃないか」というもので、それを「ごり押しで」押し切ったのだそうです。

2018年の番組でも「だったら別れなくてよかったじゃないですか。で、また籍を入れると言ったら、籍は入れなくていいんちゃうかと断られた。それがまた大変で」と振り返っていました。離婚を申し入れたのも再婚を求めたのも本人という流れで、この夫婦の関係はキムラ緑子さんが動かしてきたことが分かります。

今の2人はたまに会うくらいの距離感

再婚後の暮らしについて、キムラ緑子さんは2025年12月10日放送の『徹子の部屋』で「もう3回やると世間に怒られちゃうので今は仲良く暮らしています」と話しました。近況を聞かれて「相変わらずで暮らしております」とも答えています。

同じ家にいながら、たがいに束縛しない距離を保っているようです。読売新聞のインタビューでも「たまに会う」夫という言い方で紹介され、一度離婚した相手とまた一緒に生きるのは「いい具合」だと語っていました。

べったり一緒にいることをやめたら続くようになった、という関係なのでしょうね。同じ相手と2回結婚した夫婦の形として、そのまま説明になっていると思います。

七瀬しおり

離婚も再婚もキムラ緑子さんから動いていて、そのたびに理由をきちんと言葉にしているのが印象的でした。

キムラ緑子の若い頃は歌手にあこがれる少女だった

キムラ緑子さんが俳優を志したのは大学に入ってからで、それまでは歌手にあこがれる少女でした。俳優として全国に知られるのは50代に入ってからで、遅咲きと呼ばれることの多い経歴です。

ここでは淡路島で過ごした子ども時代から、劇団の看板女優を経て全国区になるまでの流れを追っていきます。

淡路島で育った子ども時代と両親

生まれは1961年、兵庫県洲本市です。淡路島の島内で、海と山に囲まれた環境で育ちました。

ご両親は仕事で忙しく、幼い頃は一人で過ごす時間が長かったといいます。歌が好きで、小学生の頃は近所の子どもたちを集めて流行歌を歌っていたそうです。

「緑子」という名前は、緑が好きなご両親が付けたものだと紹介されています。地元にはいまも縁があり、洲本市を訪れて昭和の歌を歌い語るイベントにも出ています。

中学時代にスター誕生の地区予選へ挑戦

中学時代のキムラ緑子さんは歌手志望で、オーディション番組『スター誕生!』の地区予選に応募しています。読売新聞のインタビューの見出しにも「歌手にあこがれ『スター誕生!』に挑戦した過去も」と掲げられました。

予選では中島みゆきさんの曲を歌い、最終審査まで残ったものの落選したと伝えられています。中学生が一人で応募して最後の数人まで残ったのですから、その時点で人前に立つ力はあったわけですね。

当時はキャンディーズに夢中で、テニス部に入っていたという話も出ています。歌でデビューする夢はかないませんでしたが、この経験がのちの舞台につながっていきます。

大学卒業後は塾や家庭教師で数学を教えていた

大学で演劇に出会ったあとも、卒業のときは地元に帰って就職する予定でした。演劇はあくまで趣味の範囲だと考えていたそうです。

実際に卒業後は淡路島に戻り、塾の講師や家庭教師として働いています。英文学科の出身でありながら、教えていたのは小学生から高校生までの数学でした。

俳優として世に出る前に、こうして地元で数年働いていた時期があります。20代前半をまるごと別の仕事に使ってから演劇に戻った人だと考えると、経歴の見え方が少し変わりますよね。

1984年の劇団旗揚げから看板女優へ

転機になったのは1984年の劇団M.O.P.の旗揚げです。演劇仲間に誘われて京都へ戻り、つかこうへいさんの『熱海殺人事件』を上演した旗揚げ公演から参加しました。

主宰はマキノノゾミさんで、キムラ緑子さんはここから2010年の解散まで看板女優として舞台に立ち続けます。1997年には紀伊國屋演劇賞の個人賞、2005年には読売演劇大賞の優秀女優賞を受賞しました。

劇団は京都を拠点に長く続き、35歳ごろに東京へ移ります。映像の仕事に出ていくのは2000年頃からで、それまでの十数年は舞台一本の俳優でした。

全国に知られたのは52歳のとき

名前が全国に広まったのは、2013年後期の連続テレビ小説『ごちそうさん』です。ヒロインをいびる小姑・西門和枝を演じ、憎らしさで強い印象を残しました。

このとき52歳です。10代で歌手を目指し、20代前半は塾で数学を教え、20代半ばから舞台に立ち、映像に出はじめたのが30代の終わり、という道のりの先にあったブレイクでした。

2018年前期の『半分、青い。』では藤村光江役、そして現在は『VIVANT』の司令官役と、朝ドラの憎まれ役から硬派な役まで幅が広がっています。この振れ幅の大きさが、いま出演作が途切れない理由なのだろうと考えられます。

キムラ緑子の本名は牧野緑子|年齢は64歳

キムラ緑子さんの本名は牧野緑子(まきの みどりこ)さんで、旧姓は木村です。夫のマキノノゾミさんの本名が牧野望さんですから、結婚後の姓をそのまま使っていることになります。

年齢は64歳です。芸名だけが名字をカタカナにした形で、ここにも理由があります。

名字をカタカナにしたのは姓名判断がきっかけ

「木村」ではなく「キムラ」と表記しているのは、姓名判断の画数がきっかけだと紹介されています。20代の頃に姓名判断に凝って自分で画数を調べたところ、カタカナのほうがよかったのだそうです。

下の名前の「緑子」は本名のままです。緑が好きなご両親が付けた名前を残して、名字だけを画数で選び直したことになりますね。

夫のマキノノゾミさんも本名の牧野望をカタカナにした名義で活動しています。夫婦そろってカタカナ表記という、演劇の世界らしい形になっています。

生年月日と現在の年齢

生年月日は1961年10月15日です。所属事務所シス・カンパニーのプロフィールにも同じ日付が記載されています。

2026年9月8日の時点で64歳で、10月15日の誕生日を迎えると65歳になります。2013年の『ごちそうさん』が52歳、2023年の『VIVANT』が61歳のときの出演でした。

年齢が話題になりやすいのは、50代からの出演作の多さがあるからだと思います。同世代の俳優さんの中でも、テレビで見かける機会が特に多い一人ですよね。

プロフィールを表にまとめました

ここまでに出てきた情報を、事務所のプロフィールで確認できる項目とそうでない項目に分けてまとめました。公開されていない項目は、無理に数字を当てはめず空欄の理由を書いています。

項目 内容
芸名 キムラ緑子(きむら みどりこ)
本名 牧野緑子(旧姓・木村)
生年月日 1961年10月15日
年齢 64歳
出身地 兵庫県洲本市(淡路島)
出身高校 兵庫県立洲本高等学校
出身大学 同志社女子大学 学芸学部英文学科
所属 シス・カンパニー
家族 夫はマキノノゾミ、子どもはいない
身長 事務所のプロフィールに記載なし
受賞 紀伊國屋演劇賞 個人賞(1997年)、読売演劇大賞 優秀女優賞(2005年)

キムラ緑子の大学は同志社女子大学|高校は洲本高校

キムラ緑子さんの出身大学は同志社女子大学の学芸学部英文学科です。京都の大学で、ここで演劇に出会ったことが人生を変えました。

この大学名については、資料によって「同志社大学」と書かれていることがあります。その理由も含めて見ていきます。

同志社大学のサークルに入れた理由

本人が在籍していたのは同志社女子大学ですが、入ったサークル「第三劇場」は同志社大学の学生劇団でした。テレ朝POSTなどが「同志社大学の演劇サークルで出会い」と書いているのは、このサークルの側を指しています。

同志社女子大学と同志社大学は同じ同志社のキャンパスが隣り合っていて、学生の行き来がある環境です。そのため女子大の学生が隣の大学のサークルで活動することも珍しくありません。

大学の側もキムラ緑子さんを卒業生として紹介していて、公式サイトのトークイベントの案内には「同志社女子大学英文学科卒」の俳優と明記されています(同志社女子大学の公式サイトで確認)。在籍していたのは女子大、演劇を始めたのは隣の大学のサークル、と分けて読むと食い違いは解けます。

出身の高校と中学校

高校は兵庫県立洲本高等学校です。地元・洲本市にある県立高校で、大学進学まで淡路島を離れずに過ごしたことになります。

中学校は洲本市立青雲中学校で、テニス部に所属していたと紹介されています。『スター誕生!』の予選に応募したのもこの時期です。

島で育ち、京都の大学で演劇に出会い、いったん島へ戻ってから劇団に入る。この行き来が、遅咲きと言われる経歴の土台になっています。

キムラ緑子のドラマはVIVANTやグレーテルのかまども

キムラ緑子さんは連続ドラマから声の仕事、ナレーションまで幅広く出演しています。いま放送中の作品では『VIVANT』の司令官役がいちばん話題になっています。

ここでは検索されることの多い作品を中心に、役柄と放送時期を並べていきます。

VIVANTでは別班の司令官の櫻井里美役

TBSの日曜劇場『VIVANT』でキムラ緑子さんが演じているのは、自衛隊の秘密組織・別班の司令官である櫻井里美です。2023年の放送で初登場し、2026年の続編でも同じ役を続けています。

続編のキャストは総勢26名が発表され、その中でも櫻井里美は物語の中枢にいる役どころです。堺雅人さんや阿部寛さんと渡り合う場面が印象に残っている人も多いですよね。

本人はこの役について、直立したまましゃべらなければならない難しさを語っています。朝ドラの和枝役のような感情を出す役とは正反対の芝居で、振れ幅の大きさがよく分かる役です。

グレーテルのかまどは声の出演

NHK Eテレの『グレーテルのかまど』でキムラ緑子さんが担当しているのは、かまど役の声です。番組に出てくるしゃべるかまどの声とナレーションで、姿は出てきません。

放送は毎週月曜の22時からで、2011年の番組開始から続いています。声だけで気づいた人がいるほど特徴のある話し方で、和枝役と同じ人だと知って驚いたという声もよく見かけます。

このほか朝日放送テレビ『大改造!!劇的ビフォーアフター』のナレーションも担当しています。姿を出さない仕事でも名前が挙がるのは、声の印象が強い俳優さんだからでしょうね。

三浦春馬と共演したおカネの切れ目が恋のはじまり

三浦春馬さんとの共演作は、2020年にTBSで放送された『おカネの切れ目が恋のはじまり』です。三浦さんが演じた主人公・猿渡慶太の母、猿渡菜々子役を務めました。

このドラマは三浦さんが2020年7月に急逝したことで撮影が途中で止まり、全4話で幕を閉じています。最終回は放送済みの回の場面を中心に構成され、両親が息子の部屋で語りかける場面が加えられました。

キムラ緑子さんは息子の上着に向かって「ママはいつだって慶ちゃんの一番のファンだからね」と語りかけています。本人はブログでも三浦さんへの言葉をつづっていました。母と息子として向き合った作品として、いまも見返す人の多い1本です。

朝ドラのごちそうさんと半分、青い。

NHKの連続テレビ小説には2作品に出演しています。2013年後期の『ごちそうさん』では山下和枝(のちの西門和枝)役、2018年前期の『半分、青い。』では藤村光江役でした。

『ごちそうさん』の和枝は、ヒロインに厳しく当たる小姑として全国に名前を知られるきっかけになった役です。放送中は憎らしさが話題になり、その後のドラマでも同じ系統の役を任される流れができました。

このほか『偽装の夫婦』『陸王』などのドラマ、映画では『パッチギ!』『テルマエ・ロマエ』などに出演しています。舞台と映像を行き来しながら、出演作を積み重ねてきた俳優さんです。

2026年9月時点で出ている番組と舞台

所属事務所シス・カンパニーの公式プロフィールを2026年9月8日に確認したところ、レギュラーとして掲載されているのは次の3本でした。

番組・舞台 放送・上演 担当
TBS系 VIVANT 毎週日曜 21時 櫻井里美役
NHK Eテレ グレーテルのかまど 毎週月曜 22時 声の出演
朝日放送テレビ 大改造!!劇的ビフォーアフター 放送中 ナレーション
舞台 詩と音楽の光景 エレクトラ 12月13日〜30日(東京)ほか 出演

舞台は東京公演のあと、翌年に愛知と大阪でも上演される予定が出ています。テレビと舞台を並行して続けている状態で、64歳のいまがいちばん忙しい時期に見えますね。

キムラ緑子の子供や旦那に関するQ&A

ここまでの内容を、よく調べられている質問の形で短くまとめておきます。

子供は何人いますか

子供はいません。本人がテレビ番組で、子どもがいないことを前提に離婚と再婚の話をしています。

旦那は誰ですか

旦那さんは劇作家・演出家のマキノノゾミさんです。1959年生まれで、劇団M.O.P.を主宰していました。

何歳ですか

1961年10月15日生まれで64歳です。10月15日の誕生日を迎えると65歳になります。

本名は何といいますか

本名は牧野緑子さんで、旧姓は木村です。名字をカタカナにしたのは姓名判断の画数がきっかけだと紹介されています。

大学はどこですか

同志社女子大学の学芸学部英文学科です。演劇を始めたのは隣接する同志社大学のサークル「第三劇場」でした。

まとめ|キムラ緑子の子供や旦那と若い頃や本名や大学

この記事では、キムラ緑子さんの子供や旦那さん、若い頃と本名、出身大学についてお伝えしました。

  • 子供はいない。本人は2018年1月13日のカンテレ『おかべろ』で「子はかすがい…それがあったらもう、全然(離婚)してない」と語った
  • 旦那は劇作家・演出家のマキノノゾミ。1992年に結婚し、2005年に離婚、2010年に復縁して2011年に入籍
  • 再婚のきっかけは東日本大震災。本人から「もう1回結婚して」と持ちかけ、いったん断られながら押し切った
  • 若い頃は歌手志望で、中学時代に『スター誕生!』の地区予選へ。大学卒業後は塾で数学を教えていた
  • 本名は牧野緑子。年齢は64歳で、生まれは兵庫県洲本市
  • 大学は同志社女子大学の英文学科。演劇は隣の同志社大学のサークルで始めた

子どもがいない代わりに夫婦で作品を残してきた、という話し方をずっと続けている方です。『VIVANT』の司令官役と『グレーテルのかまど』の声を同じ人が演じていると知ると、出演作の見え方も変わってきますね。

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